絶対善霊お迎え式と30日行孝情天寶奉献礼式(陽暦2020年5月11日)

【 礼拝のみ言 】

天一国八年天暦4月19日(陽暦2020年5月11日)

説教タイトル:「 選ばれた人として生きていきなさい 」
主礼:鄭東洙 教区長
 おはようございます。新型コロナウィルスで急に冬から夏が来たようであります。非常に新型コロナウィルスで季節も急変化する時を迎え、今日、年間一番美しい月である5月をこのような形で出発できるようになり、心から感謝申し上げます。真の御父母様を中心に新たな出発をしていきたいと思いますので、皆が今日一日の精誠を尽くして出発していけたらいいなと思います。最近、道を歩くと、マスクをしている人たちが多いですね。皆様も普段マスクをして買い物に行ったり、どこかに用事でマスクをして行かれるケースが多いと思います。マスクをすると息苦しいですね。そうでしょ、息苦しくて、暑いから、マスクをするのが嫌であります。人間がこういう風に息をするということは、最近マスクをしながら、自分自身が、生きているんだなということを非常に感じさせていただきました。息が、まさに自分自身が生きているということであります。私たちは、息をしているということは、生きているし、息が止まれば、死んでいるということであります。
 息をしているということは、既に皆様ご存知でおられるように、創世記の第2章7節に、神様が土のちりで人間を創造したじゃないでしょうか。人間を創造して、鼻に神様の命を、息を吹き入れられて、それで私たちが命を頂いた人間になりました。神様の霊が人間の中に入ることによって、我々が生きるようになったということであります。すでに人間は、神の霊が自分の中にいるということであります。しかし、人間堕落によって神様が離れるようになって、人間がこのように息が、サタンの息をするようになったんですね。
 これを我々が、毎月奉献礼式をしていきながら、このように先祖たちをお迎えして、先祖たちを中心に、新たな息を切り替えていくという出発でありますので、今日も我々が正しい息をしていきながら、今日新たな一ヶ月を出発し、皆が勝利者になってもらいたいなと思います。早くマスクがない生活をしていきたいなと思います。マスクを買うにも大変だし、みんなが大変な生活をしているので、夏も来るから、息苦しい日々の生活を早く終えていきたいなと思います。正しい息をして、神様が伴う、神の霊が伴う人になっていく息をする人になっていけるように今日1日出発する精誠の時間になっていきたいと思います。
 今日は、皆様と一緒に共有したい内容は、選ばれた人として生きていきなさいというテーマであります。ある池で、お母さんアヒルがたくさん卵を抱いていました。時間が経って、卵が孵化しながら、アヒルの子が生まれましたけれども、その中で、アヒルの中で孵化した卵の中で、孵化したアヒルの子の中で、特に目立つアヒルの子がいました。他のアヒルたちと外見がちょっと違うし、色も違うし、だから他のアヒルの子たちと伴うということも非常に、何か周りからいじめられ、苦しめられ、そういう風なアヒルがいたわけであります。それで外見が違って、色も違うから、他のアヒルからからいじめられるので、耐えられなくて、悲しくて、心が本当に良いおばあちゃんもそういう家に訪ねて行きました。そのおばあちゃんの家では、愛を受けていこうと思ったのに、そこでも、その家にいる鶏と犬と猫たちが、このアヒルの子をまた苦しめていきました。行くたびに苦しめていくこのアヒルの子、愛されないこのアヒルの子は、いつも憂鬱で、そして寒い冬を孤独に過ごしていきながら春を迎えてきました。このような季節である春を迎えたある日、偶然に羽をはばたきをしていきながら、そうした瞬間、自分自身が急に飛ぶということが分かりました。自分自身がおかしいということを気がついたわけであります。自分が飛ぶということ、それで、自分自身の姿を川の水に照らしてみたんですね。湖に照らしてみたら、自分がアヒルだったと思ったのに、白鳥であったわけであります。
 この話は、皆様がよくご存知でいる、アンデルセンのみにくいアヒルの子の話しであります。みにくいアヒルの子の童話の話、この童話の中で、アヒルの子は、いつも憂鬱であったし、いつも悲しかったし、幸せではなかったアヒルの子でありました。そしてある瞬間に、憂鬱であり、悲しくて、幸せでない自分自身が、急に変わった時がありました。アヒルの子が、ある瞬間に変わった理由であります。アヒルの子が変わったその瞬間は、自分自身が誰であるということを分かった瞬間であったんですね。自分自身が誰かと知った瞬間でありました。アヒルの子であったのにも関わらず、分かったにも係らず、急に自分自身が白鳥ということを分かった瞬間でありました。自分自身が誰なのかということを分かった瞬間、憂鬱感がなくなり、悲しみがなくなり、苦しみがなくなり、幸せが訪れてきたわけであります。誰が言ったとしても、誰がこういう風に言われたとしても、自分は白鳥でありました。
 皆様、たくさんの人々たちが自分を苦しめて、たくさんの人々たちが自分を苦しめているという風に考える理由が、なぜそう考える理由が、そうなるかわかっておられるんでしょうか。多くの人たちが、なぜ苦しんでいるし、悲しんでいるし、大変だと思っている理由が何であるか知っておられるんですか。それは他の人々たちが自分を評価しているからであります。自分自身に対して他の人々たちが、良い話をしないから、そういう話をするのではないかという風に思っているから、その話に対する多くの人たちが、傷を受けているからであります。さらに、多くの人たちが自分自身をどのように見ているんだろうか、他の人たちが自分自身に対してどのように見ているんだろうということで、他の人たちに対する視線、それに対する自分自身が不安であり、不幸を感じるわけであります。
 皆様がもし幸せではない、喜びでもない、希望がないと思っているならば、その根本原因は、自分自身が誰であるかわからないからであります。自分自身が誰であるかということを知っているならば、絶対に憂鬱することができません。苦しいことさえありえないということであります。自分自身が誰なのかということが分からないから不幸であり、大変であり、いつも自分が悲しいという存在だと思っているわけであります。自分自身が誰であるかは知らないから、他人の視線と他人の評価に意識して、それで、それによって自分自身を不幸に導いていく、自分自身をそういう不幸のところに引っ張っていくということが事実であります。
 私は今日、皆様が誰であるかということを霊的に目が開く食口、皆様になってもらいたいなと思います。今日5月度出発してきながら、皆様はこの瞬間、ネットでこの時間に参加する皆様全員が、霊的に目が開き、新たな出発を成していくこの時間になってもらいたいなと思います。
 ネットで参加する、愛する食口の皆様、皆様は一体誰なんでしょうか。皆様は誰なんでしょうか。今日、皆様と一緒に共有したいという内容が、ペテロ第一手紙の第1章の1節から2節のその内容を皆様と一緒に共有していきたいなと思います。この説教が終わって、ペテロ第一の手紙の第1章1節から2節を皆様一緒に読んでいただきたいと思います。この内容は、マルコの屋根裏で、聖霊を受けて、イエス様が十字架に亡くなられ、それで40日後に復活されて、その後にそういう多くの人たちが、マルコの屋根裏で聖霊の恩恵を受けて、それで、その人たちが復活して、散り散りバラバラになって活動する時、活動する所々に教会が建てられました。その教会が建てられたところを人たちが集まった訳であります。教会が復興したということであります。人が行くたびに聖霊の恩恵を受けて、多くの所にいた時に、人が集まり、教会が復興していきました。
 皆様、ここで見れば、光があれば影があるように、不幸がある時に必ず迫害もたくさん起きます。皆様が、迫害があり、苦難があり、皆様の家庭で大変なことがあること、いろんな悲しむことがあるということ、そういうことがまさにどういう意味なんでしょうか。先ほど、光があれば影があるように、必ず不幸があるということ、という意味であります。家で悲しいこと、家で大変なことがあることは、それはどういう意味かと言えば、不幸がある時であり、祝福があるということであります。不幸があるということは、さらに、試練もあるということであります。大変なことがあるということもあります。反対に迫害と試練があるということは、皆様の人生に不幸の時が来たという意味であります。良いことが来たということであります。
 皆様はご存知でおられるように、初代教会の時、一番迫害があった時、どの時だったんでしょうか。ネロ王が迫害する時だったんです。イエス様が十字架につけられ、30年が過ぎたんですね。イエス様が十字架に亡くなられて30年が過ぎて、その時の初代教会が、大変迫害を受けた時でありますね。ネロ王がいた時であります。今から言えば、国家が教会を公式的に弾圧する時であったんですね。国が、政府が教会を公式的に弾圧している、そういう時、ですから、迫害を受けている多くの信徒たちが、耐えることができないまま、散り散りバラバラに逃げていきながら、それで、みんなが信仰を捨てて、そういう風にみんなが失望している信徒たちが現れるようになりました。
 信仰が地に落ち、皆が信仰の根が揺るがしている、葛藤している信徒たちを見るペテロは、彼らたちに手紙を書きますけれども、ペテロの第一の手紙は、そのような話であります。迫害を受けている、その信徒たちに、あまりにも悲しく思われる信徒たちに、ペテロがその人たちのために慰労するために書いた手紙であります。いったい神様は、この時、その信徒たちにどんな話をしたかったわけであるのでしょうか。神様が、ペテロを通してその人たちにどんな話をしたかった、そういうわけであるのでしょうか。どのようなみ言を語りたかった神様だったのでしょうか。
 ここで、神様がペテロに与えられた初めのメッセージが、あなたたちは選ばれるだろうというみ言じゃないんですね。ここで語られたみ言は、あなたたちは、私によって既に選ばれた人だと、選ばれた人、散り散りバラバラになっているあなたたちは、既に天が選ばれた人々である、こういう風に表現されました。神様があなたたちを選ばれた、一人ひとりを選ばれた存在だと言われたんですね。選択した存在だと言われました。このみ言は、この世の人々たちに、私たちに対してどんな話をしたとしても、この世の人たちが、自分自身をどんな評価したとしても、神様が自分自身を選ばれたから、私は神様から愛を受けた人であり、神様から祝福を受けた人であり、神様の息子、娘であり、神様の祝福圏の中にいるということであります。周りがどんな話をしたとしても、自分は選ばれた人だから、既に神様から愛されている人であるということであります。
 この世の人たちが、皆様をどのような人だと言われるんでしょうか。この世の人々たちが、皆様は誰だと聞くんですか。そういう聞くと皆さんはどう答えるんですか。私は誰々ですとういう風に言うんですね、私は誰々の親です、私は誰々の妻です、私は誰々の娘ですと話すのではないでしょうか。これは全部正しいです。しかし、一番重要なことは、皆様一人一人は、神様から選ばれた息子、娘であります。このみ言は、私が選んで教会に来たのではなく、皆様が選んで来たくて教会に、御父母様のところに来たくて来た皆様ではなく、皆様が選ばれて教会に来たのではなく、神様が皆様一人一人を選ばれたからここに来たわけであります。皆様が選ばれたのではなくて、神様が選ばれて皆様がここにつながって、ここに来たわけであります。ですから、私たちの人生は、神様から選ばれた人生でありますので、堂々と生きていかなければならない私たちであります。そうしたら、選ばれた人としては、どのように生きていかなければならないのか、皆様、選ばれた人として、どのように生きていかなければならないのでしょうか。
 昔、中国の戦国時代に孟嘗君(もうしょうくん)という政治家がいました。歴史の教科書に出ている人物であります。この孟嘗君は、大変優れている人でありました。この人は、自分の下に当時、優秀な人材を自分の家で連れて一緒に暮らした人物でありました。歴史の本を見れば、その優れている人材を最低1千名ぐらい孟嘗君は連れて一緒に住んでいたという話も出ています。多ければ3千名ぐらいの人材が彼の下で生きていたという記録もあります。皆様、驚いているんですね。驚いてないんでしょうか。どうですか。孟嘗君が、自分の下に優れている人材を1千名を置いて、一緒に自分の家で暮らしている、こういう人であったんですね。あまり驚かないんですね。
 しかし、ある日、この孟嘗君が、新しい人材2人を連れてきます。この孟嘗君が1千名ぐらい人材がいるのにもかからず、新しい人材2人を連れて家に帰ってくる時があったんですね。1人の人材は、犬の真似を良くする泥棒だったんですね。もうこの世の一番最高の泥棒、犬の真似をする泥棒を連れてきたわけであります。もう1人は鶏のモノマネを本当によくする人、この2人を連れてきたんですね。1人は犬のような泥棒、犬の真似をよくする泥棒、最高の泥棒、ともう1人は、鶏の声を音を出す、モノマネをよくする人、この2人を連れてきたんですね。この2人は、他の人々より、文字を良く書くとか、頭が良い人とか、刀をよく使う人でもなく、この2人は、犬の真似を良くする泥棒、もう1人は、モノマネ、鶏のモノマネをよくする人、こういう2人だったので、それで孟嘗君と一緒にいる人材たちと比べると、この2人は、とんでもない不足な人でありました。ですから、他の人たちが見ると、文武両道を持っている多くの人たちと比べると、最高の才能を持っている人たちが、人材たちが、この2人を見た時に、話にならないということであります。ですから、先に入ってきたこの人材の人たちが、この2人を見ていじめるんですね、認めないということであります。いつも2人は、別のところにいるということであります。
 それである日、孟嘗君が隣の所に、他の国に招待を受けて、この2人と一緒にその国の王に会いに行きます。その国の王に会った瞬間に、計略によって、それで孟嘗君が牢屋に閉じ込められるようになりました。政治的に何か騙されて、死の危機に追い込まれるようになったわけであります。それで、知らないうちに、自分自身を牢屋に入れた王の妻ですね、一番王がたくさんの妻がいるじゃないですか、その中で一番愛されている妻に頼みますね。自分自身を、孟嘗君は自分自身をちょっとここから出るようにして欲しいと、この牢屋からちょっと出られるようにしてくれないかと、こういう本当にお願いしているんですね。
 それで王の妻がこのように話します。私があなたを逃してあげるのに、私に対価を払わないといけないと、その対価は王が一番大切にしている倉庫があると、その倉庫の中に宝がいっぱいあって、黄金、宝がいっぱいあるので、それを盗んで、私の方に持ってきなさいという条件があったんですね。王の倉庫の中に、宝の物を盗んで自分のところに持ってきなさいという話でありました。王の倉庫だったら、最高の兵士たちが守っているのではないですか。その守っている倉庫をどうやって、そこにいって盗むことができるでしょうか。
 その時、孟嘗君にこの犬の真似を良くする泥棒、泥棒が、自分自身がこういう風に言うんですね、自分が行って盗んできますと言います。それで、犬の真似をして、この人がですね、すごいですね、やっぱり最高の泥棒なんです。犬の真似をしているから、誰も知らないんです。それで、その倉庫にいって、宝物を盗んで持ってきました。それで王の妻は約束通りに孟嘗君をですね、離してあげます。それで逃げて行きますけれども、一晩中逃げて行くのに、国境まで来たんです。自分の国境まで、戦国時代の国境まで来たんですけれども、その時間が夜だから、国境腺の前に来たのに、城の扉が開いてないんですね。入らなければ捕まって死ぬ運命であるんですけれども、それで夜だから、城の門が閉じているので、それで隣にいるモノマネをよくする、鶏のモノマネをよくしている人材が、鶏の鳴き声を真似するわけであります。コケコッコーですね、そういう風にするわけであります。この鳴き声が、どれぐらい凄い声だったのか、この国境地帯にある鶏が、みんな寝ているのに、この人がモノマネをしている声に皆が起きて、一緒に鳴くわけであります。その国境の守備隊の鶏たちが、みんな鳴くから、それで、その時代は時計がなかったので、鶏が鳴くと皆が起きるじゃないですか。守備隊の人たちが、朝だと思って起きて、国境の扉を開けたそうであります。それで無事に城の中に入った話がありました
 孟嘗君の人材この2人を見るとですね、この2人がこのように言いました。自分たちは優れてもない、他の人々のように文字もよく書けない、頭も良くない、文字も読めない、刀も使えない、他の人ように文武両道を持っている人でもないのにもかからず、私のような人を選んでくれたから、私は主人のために感謝の心で、主人の為に命を捧げ、献身することは当然じゃないでしょうかと話したわけであります。
 我々の姿もこのようにしなければならないのではないでしょうか。私たちが、綺麗だから、神様が私たちを選ばれたことでもありません。我々は人間始祖の堕落によって罪人の人になりました。人間始祖アダムとエバの堕落によって、堕落の後縁になった私たち、それで、私たちは堕落の後孫になる姿になりました。私たちは、神様から選ばれる前の姿、今の姿もいつでも罪を犯し、尊さもなく、一番堕落の罪の、そういう堕落として生きている私たちを、そうするにもかかわらず、私たちを選ばれたわけであります。そうするならば、選ばれた私たちがすべき事はどういうことであるんでしょうか。
 それですね。先ほど孟嘗君の選ばれた2人の人材2人のことと同じように、自分自身がとんでもない話で、とんでもない自分でありながらも、私を愛して選んでくれたその人のためにそうするならば、忠誠を尽くして、その人に献身して、命を捧げてと同じように、私たちもそうですよ、私を聞かないと思わずに、ひたすら愛してくださった神様の前に、一生涯、感謝する心で生きていきながら、修正をし、選ばれた私たちが、神様のために、み旨のために、一生懸命献身する私たちにならなければならないのではないでしょうか。これが、私たちが第一番目です。選ばれた人々としての私たちの姿勢です。我々が何をやらないといけないかと、一生涯、神様のために、み旨のために一生懸命献身する私たちにならなければならない私たちであります。これが選ばれた人々たちの人生の姿勢であります。
 先ほど、ペテロの第一の手紙でペテロの話をしていきました。ペテロは職業が漁師でありました。その当時、漁師といえばですね、ペテロのこういう環境をみると、船一隻を持っていたペテロであったんですね。ですから、その当時を見ると、よく生きている人ではなかったとしても、普段よくですね、食べて生きるそういう人でありました。金持ちでもない、ただ平凡な人として生きたペテロでありました。だから、その町でただ生きられるぐらいの人生であったので、それで、ペテロのそういう姿を見ると、み言で見ると、ペテロはどこか優れている人だったり、それと頭が良いとか、素晴らしい人という風でも何でもないんですね。明らかにペテロは平凡な人でありました。しかし、ある日、イエス様がペテロを呼ばれたんですね。お前は私に従って来なさい。ペテロを呼ばれた時に、イエス様が、あなたは私についてきなさい、魚を釣る漁師にならないで、人を釣る漁師になりなさいとイエス様はペテロを呼ばれました。
 ペテロは、初めは、自分はなぜ呼ばれたのか分からなかったんですね。しかし、イエス様が呼ばれたのでただついて行きました。ついていった時に、疑い半分、好奇心半分ぐらいで従っていたペテロ、途中でペテロがイエスを見る目が変わりますけれども、イエス様が行っているいろんな奇跡を見ながら、この方は普通ではないということを分かったんですね。普通ではない、この方こそすごい人だとわかったんですね。なのに自分のような平凡な人を弟子たちを呼ばれ、選ばれてくださるということに対してあまりも感激したんです。
 その感激も長く続いていかなかったんですね。人の問題はそうですよ。一緒に人と長く付き合っていくと慣れてしまうんですね。慣れていくということ。慣れるということが、人間の問題です。時間が経つたびに、人に対する尊敬心と感激、喜び、それが慣れる、そういうことによって消えてしまいます。我々が、一緒に人がいると、その人と長くいると、慣れる事によって、その人との出会いが、最初の出会いのこの瞬間が消えていくということであります。慣れていくからであります。そうですね。我々がそうですよ。この信仰を長く持っていくたびに、慣れるということがこういう恐ろしさがあります。
 お父様は、信仰の最悪の毒薬が、お父様はこうおっしゃったんですね、慣れることだとおっしゃったんですね。慣れるという事は、我々は死を予告することであります。自分自身が選ばれたのが、後ではこういう風に傲慢になってしまいました。慣れていくということが、最初は感謝であり、幸せであり、喜びだったペテロが、慣れる事によって、当然だと思って、自分のような人が選ばれないと誰が選ばれるのかと、傲慢さが、更に、イエス様を3度否定するようになりました。
 3度否定するようになったペテロに、それでイエス様を否定していってしまった。イエス様が十字架に亡くなられ復活されて、ペテロの前にもう1度現れたんですね。もう一度現れた時に、イエス様に視線を合わせないじゃないですか。イエス様の声に答えもないんです。イエス様がこのように質問します。ヨハネの子シモンよ、あなたはこの人たちが愛する以上に私を愛するか、この人たちが愛する以上に私を愛するかとイエス様がペテロに声をかけました。ペテロは言いました。主よそうです。私があなたを愛することは、あなたがご存知です。
 イエス様はこうおっしゃいました。そうすると、私の子羊を養いなさい、子羊を養いなさい、あなたが私を愛するから私の子羊を養いなさい、自分自身がどんなに考えても、よくすることは何もないのに、認められることも何もないのに、一つもないのに、自分自身を選ばれたということ。見てください、背信者であったんです。裏切られた者です。背を振り返って行った者だったんです。人間らしくでもない、人間で一番愛されているのにもかからず、裏切られた人、その人ですね、イエス様がもう一度声をかけたんですね。
 皆様だったら、皆さん裏切られたらどうですか。現れて裏切られた人を見たら、石で殺すと思いますね。でも、イエス様はこう言わなくて、ペテロに目を合わせて、あなたはこの人たちが愛する以上に私を愛するか、私のような人を選ばれて、もう一度選ばれて、認めてくださり、名前を呼んでくださる、その方の前に、先ほど孟嘗君の話をしました。孟嘗君の2人のように、自分の人生を、命を懸けて捧げ、この様にペテロも選ばれた、私のような罪人のような人を選ばれた、その人のために殉教の道を生きるのではないでしょうか。それで、ペテロは自分がいつも伝道でこのようにしたのです。いつもこのように伝道していきました。私のような人も選ばれたのに、皆様も選ばれたではないかと、私のような人も選ばれたのに、皆様も選ばれたではないかと、だから我々は選ばれた人として、私たちはその人に一生涯、命をかけて献身する私たちならないといけないということであります。
 2番目としては、私たちは神氏族メシヤにならなければならないということであります。神氏族メシヤ。選ばれた人々として、私たちがやるべきことがあるならば、私は神氏族メシヤになって、天寶入籍しなければなりません。真の御父母様の祝福の中で一番大きな祝福は、祝福家庭が、氏族メシヤとして祝福したことであります。もう一度言いますよ。真の御父母様が祝福した中で一番大きな祝福は、祝福家庭が氏族メシヤとしていく事を祝福したということであります。
 お父様は祝福家庭に対してこう言われました。祝福家庭に対して、お父様は、真の御父母様の血筋を頂いた人だから、その人々たちが、真の御父母様の代身じゃないですか、食口家庭が、真の御父母様の血筋を頂いた祝福家庭が、国を代表して、神氏族メシヤ的な存在として、真の御父母様の名前を持っていく存在だから、血筋を頂いた祝福家庭だから、それで、真の御父母様の名前を持って生きている人として、生きる祝福を頂いた人として、あなたたちが、最後に行く道は氏族メシヤだと言われたんですね。
 お母様のみ言を93年度、あるお母様のみ言を見た時に、93年度7月アメリカ50州の巡回公演の時に、お母様が責任者たちに語られたみ言がありました。氏族メシヤの使命に対してこう語られたんですね。氏族メシヤの使命は、お父様がその時に、50州で巡回の時に、お母様が陰で責任者たちに語られたみ言でありました。氏族メシヤの使命は、責任じゃないんだと、恩赦だと言われました。いいですか、責任ではなく、恩赦だと言われたんです。お父様が生きておられる時に、お母様もその時、お父様が巡回公演の途中だったのです。その時に、お母様が、お父様が生きておられる時に、国家復帰をしてあげなければならないじゃないかと涙を流しながら、お母様が語られたみ言だったんですね。
 今日、インターネットで参加する食口の皆様、神様から選ばれた皆様として、氏族メシヤを完成する私たちにならなければなりません。今日、絶対善霊たちと共に、絶対善霊たちも最後のこの時に、彼たちの願いは、皆が氏族メシヤの勝利者になって、真の御父母様の血筋を頂いた祝福家庭が、誇りを持って入籍する、神の国に入籍するという願いをもって、今日一ヶ月間出発する絶対善霊お迎え式であります。
 お父様は、氏族メシヤの使命を完成すれば、彼らたちを中心として、入籍時代が来ると、90年から語られました。入籍時代が来ると、氏族メシヤが完成すれば、その人たちを中心に入籍時代が来ると前から語られておられました。神の国の構成員は氏族メシヤです。神の国の構成員は氏族メシヤです。祝福家庭ではありません。天一国の構成員は氏族メシヤですね、構成になっているんです。これはあまりも重要なみ言であります。天一国の構成員は、氏族メシヤ、祝福家庭の名前がなくなるんです。氏族メシヤです。神様は、私たちが使い者にあって呼ばれたのではありません。神様が私たちを呼ばれた理由は、私たちを愛しているから呼ばれました。愛すれば使いがあるから、使い物にならないから、とういうことを関係ないんですね。愛すれば全てを超えてきます。
 私たちは、選ばれた者として、神様の栄光のために、忠誠を尽くして献身する人生、さらに、私たちは、氏族メシヤの使命を完成する、天一国、神の国の構成員として、氏族メシヤを完成する食口になることが私たちの責任であります。この5月度、素晴らしい月が参りました。5月のこの月は、天が一番願われる、懇切な願いが籠もっている月でありますので、この5月度は、全家庭が、より氏族メシヤ勝利に向けて前進し、真の御父母様の心情に供えるこの一ヶ月間、絶対善霊たちと共に一つになって頑張る皆様になってもらいたいなと思います。よろしくお願いします。
<祝 祷>
 天の父母様、天地人真の父母様、天一国8年天暦4月19日、2020年5月11日の尊い5月度の出発のこの時間、絶対善霊お迎え式と30日行孝情天寶奉献礼式を天の御前に奉納できる恵みを頂き、心から感謝申し上げる次第でございます。全世界的に、コロナウィルスの大変な問題による世界は、困難と行く道を迷っている今のこの時であります。誰よりも真の御父母様を中心に、全世界がひとつにならなければならない今のこの時を教えられるように、私たちはこの時間、天と地がひとつになる尊い一日を中心とする全霊界と共に尊い尊いこの時間を天の御前に奉献しながら出発するこの時間、心から感謝申し上げる次第でございます。私たちは、選ばれた人として、私たちが行くべき道はどんな道であるかを今日この時間、み言を通して私たちに教えていただいたこの時間でもあります。天の父母様、天地人真の御父母様、この時間、多くの絶対善霊たちが共に参加しながら、我々の決意と共に飛躍するこの1日になり、これからの私たちの歩みが、真の御父母様と一つになって、より天の御前に忠誠を尽くし、神氏族メシヤを勝利に向かう、前進する人として、この時間、もう一度誓って出発するこの時間になる事を天の御前にお願いし、約束しながら、決意しながら、この時間立つものとして、今日ネットを通して参加する全祝福家庭、全食口の上に、天の父母様と天地人真の御父母様の偉大なる恩恵と祝福がともにあることを天の御前にお願い申し上げる次第でございます。今日この時間、天の御前に奉納する尊い奉献書に、天が共におられ、書いている全ての内容が、その様に叶っていけるように天が祝福してくださり、絶対善霊、天軍天使たちと共に歩んでいただき、真の御父母様の前に新たな忠誠を尽くしていけるように役事し、導いて下さい。この奉献書の内容すべてが、天の御前に叶っていけるように、天が導き、お願い申し上げる次第でございます。絶対善霊たちと共に役事して、全祝福家庭が立ち上がっていけるように導きお願い申し上げる次第でございます。天の父母様、天地人真の御父母様、5月度は、真の御父母様を通して、新たな季節が出発して参りますので、季節のように私たちも立ち上がって、堂々と勇気と力を持って、5月度も天の御前に尊い勝利を収めていけるように導き、お願い申し上げる次第でございます。この時間、心から心から感謝申し上げながら、天上におられる真のお父様と地上におられる真のお母様、天軍天使、絶対善霊と共にこの時間、参加する全ての兄妹姉妹たちの尊いみ旨の精誠の土台の上に、この時間、共にお互いに一つになって出発して参りますので、天の父母様、天地人真の御父母様が共におられることを願いながら全ての事を축복 중심 가정 정동수 이름으로 감사하며 보고 아뢰었사옵나이다. 아주(祝福中心家庭 鄭東洙 の名で感謝しご報告いたしました。アージュ)
<御言葉の訓読>
  愛する子孫たちよ。
 地上の生活を終え、いざここ霊界に来てみると、地上で思ってもみなかった、また一つの世界が存在しているという事実に驚きを禁じ得なかった。天国と地獄をはじめとして数多くの階層に分かれている霊界の事実が分かった。
 しかし、天国に行く霊人はいなかった。あちらこちら飛び回っている幽霊たちと、自分たちの恨みを解くために怨讐の子孫の体の中に入っている霊人たちがいることを知った。
 堕落性と悪なる行動の結果、大きな罪を犯した霊人たちは自ら地獄に行かざるを得ないという事実を知り、地上での生活がどれほど大切かということを霊界に行ってから初めて知るようになった。しかし、既に肉身を脱いで霊界に来た以上は地上に再び戻れないということを知ったとき、号泣せざるを得なかった。
 数百年、数千年の間、暗黒の中で苦痛を受けていた私たちに、ある日、救いの強い光がさした。天地人真の父母様の恩恵によって興進様、大母様が天使を動員し、地獄で苦痛を受けていた立場から光明天地に導いて罪を洗うようにしてくださり、悲しみと苦痛から解放してくださった恵みをどう表現できるであろうか。
 愛する子孫たちよ、暗く、苦痛に満ちた地獄を抜け出し、いまや絶対善霊となった私たちは本当にうれしくて幸せだ。これからは地上の子孫を助けよう。私たちをこのように救ってくれた子孫たちに必ずその恩を返そう。
私の愛する子孫たちが病気で苦痛を受け、また、様々な苦痛を受けているのをこれからはそのままにしておかないだろう。子孫たちが天の福を受けて幸せになるように助けるであろう。

絶対善霊のメッセージ 2004年3月30日

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