天一国日曜礼拝のみ言(陽暦2023年12月3日)

【 礼拝のみ言 】

天一国十一年天暦10月21日(陽暦2023年12月3日)

説教タイトル:「 心情を通した最後の勝利者になりなさい 」
説教者:鄭 東洙 大教会長
 
<御言葉の訓読>
 ⚫ 神様と私は主体と対象の関係
“信仰というものを考えるとき、その対象はもう私ではなく神様になるのです。どこまでも神様を対象にしていく道です。 再び言うと主体と対象関係が神様と私の間に結ばれて主体からなる事実が対象からなる事実が主体に関係されなければならないというのです。神様と私たち人間は必ず相対的な関係を持って結ばなければなりません。“

(1971年2月7日み言選集40巻274-301)

⚫ 私と一緒に動いておられる神様
“2月なら2月の1ヶ月を中心に信仰的な面とかそれぞれそれなりの目標を立てて実践していくとすれば、その目標を自分個人の目標と考えてはいけません。その目標は常に主体と対象の共同目標であり、その結果も常に主体と対象の共同的価値の結果を追求しているということを自ら感じなければなりません。 この言葉はどういう意味かというと、私がすることだとしても、その仕事は私一人でするのではなく、そこには必ず神様が介入していらっしゃるというのです。私一人で動くのではなく、神様が同伴して動いておられるというのです。このように神様が一緒に動いておられるという事実を感じる時、ここから体恤信仰が出発できるということを皆さんが知らなければなりません。”

(1971年2月7日、み言選集40巻274-301)

⚫ 心門の方向を神様に合わせる
“人には心があります。そして心には心門、つまり心門があります。神様が私たち人間を、私は私に接してくださる時があります。もちろん神様はいつも私たちに接しておられますが、私たち自身が、神様が私たちに接してくださるその方向の前に一致できる心の門をどのように合わせるかということが問題です。 自分一人でするのではなく、必ず天運が協力して、自分が願わなくても自然にその環境が成り立っていくことを細胞で感じられる場に立つというのです。そのような時は必ず体恤的な感覚になるということを皆さんが知らなければなりません。”

(1971年2月7日 み言選集40巻274-301)

⚫円満なボールのように膨れた心の態度(真空での共鳴)
“それでは信仰者として一番注意すべきことは何ですか? 仕事に接する上で些細なことでも大きなことでも、どんなことにもかかわらず個人的に接してはいけないというのです。言い換えれば、皆さんの心が膨れて弾力がなければならないというのです。 しっかり空気を入れて完全に丸くなったボールのような心の姿勢を持ちなさいというのです。潰れず、完全に膨れたボールのような心の状態にならなければならないというのです。そうして、その心に何らかの刺激が入ってくると、心全体が共鳴できなければなりません。固有の振動数が互いに同じ音叉二つを置いて一つを鳴らすと、もう一つは打たなくてもその音波に刺激されて同じ振動数で鳴るのと同じように、私たちの心も共鳴体になれる円満な心を持たなければなりません。そして、そのような共鳴を感じない場で、あることに接するようになる時は、こう考えればいいというのです。神様がこのことを眺めておられる、私と直接的な関係を結んでいることを私は感じませんが、関係を結んでいる、この仕事に神様が先に介入していらっしゃる、神様のみ旨がここに刻まれている、今はそのみ旨を中心に私が接する瞬間だと考えればよいのです。”

(1971年2月7日、み言選集40巻274-301)

⚫日常生活の関係1.対物2.対人3.対言
“私たちが日常生活で接していることが大体どのように区分されますか? 一つ目、物に対すること、二つ目、人に対すること、三つ目、言葉に対すること、言い換えれば物に対する対物関係、次に人に対する対人関係、次に対人関係での話をする関係があるのです。それでは、対物関係においてどのように天化させるのでしょうか? つまり、そのことを堕落した私として扱うのではなく、神様が主体となって接したという立場をどのように立てるのでしょうか?対人関係においても私自体として接するのではなく、どのように神様と一緒に接するのでしょうか?また、話しても私一人で話すのではなく、どうやって天の言葉を話すのですか?これが問題です。その言葉は言葉だけで残すのではなく、必ず行動を伴わなければなりません。これが私たちの生活圏内で関係している内容なのです。”

(1971年2月7日み言選集40巻274-301)

⚫最初の感じをお父様の前にいつも相談する
“それゆえに一日の生活をそうして接することに思わず接するなということです。それはすべて天が実際の生活を中心に天国を成し遂げるための一つの材料として一つの教材として私に接近させてくれるというのです。それだけに、それを良い結果として消化できる主体的な自我をどのように発見するかということに努力しなければなりません。それを発見するためには、皆さんの感、その第一の感じをお父様の前でいつも話し合い、共明体にならなければなりません。心を大きく開いて夜も昼もいつでも天に接することができるような基準になれば、必ず霊波が来るというのです。 私たちはアンテナと同じです。したがって、純粋なアンテナのような立場で霊界の波長を感知できなければなりません。 霊界は常に霊的な波長を送信していることは間違いないので、私が息子の立場でやろうとするには必ず主体的な立場で関係を結んでいるので、どれが主体と対象の前で必要な二重目的の価値になるのか、ならないのかということを自ら知ることになるというのです。"

(1971年2月7日み言選集40巻274-301)

⚫鑑別(打診·点検·分析)する生活態度
“それで私が鑑定したものが何パーセント的中するのかということを生活の中で点検してみなければなりません。そうして生活の中でプラスになると感じた最初の感情が何パーセント的中するのかということを常に注視しなければなりません。 そのような生活態度をだんだん習慣化させると、10種類のことのうち5つ、6つのことがだんだんその度が高くなることが分かります。これを育てていかなければならないというのです。皆さんが分からないからであって、これを徐々に統計的に育てていかなければなりません。 育てて「あ!自分が鑑定したことが何パーセント当たった」という自信を持てるように努力しなければなりません。それが体恤ができなければ、私が精誠を捧げられずに完全な共鳴体になっていないので、それが入っていないと考えなければなりません。それゆえに、宇宙のあらゆる因縁に従って鑑別する鑑別士の生活が信仰者の生活です。”

(1971年2月7日、み言選集40巻274-301)

⚫ 心が後退するようなことは絶対にしない
“今日、統一教会員は皆、天に引きずられ、天が去ってしまうと疲れてしまいます。それはなぜかというと、体恤信仰の重要性を知らないからです。信仰というのは生活圏内で勝利的結果、すなわち生活圏内で神の目的を中心にしてそのような結果を打診させることができる価値的内容が、私が接する前より接した後により良い結果として見つかる時はいくら逼迫が来てもそのまま推し進めることです。 絶対屈服しません。 ですが、その行った結果がマイナスになったときは、いくら頑張ろうとしても後退してしまいます。 ですから後退することは絶対にしてはいけません。その被害はどうなりますか? 一度後退した後にそれを正すのはどれほど大変かわかりません。一度失敗をすると、それを補うのがどれほど大変かということを考えると、落ちることができること、つまりマイナスになることは考えもしないということです。 そのような物は見ようともしないのです。また、そのような人には接そうともしないのです。”

(1971年2月7日、み言選集40巻274-301)

⚫体恤の感度を生活の中で広げていく
“それをどこで育てていくのでしょうか?生活で育てていかなければなりません。体恤的信仰が重要なので、体恤信仰を育てていかなければなりません。そのようにするには、私と関係していた人を絶対にそのまま帰さないでほしいということです。私が接する前よりプラスになるようにしなければなりません。 彼が私を攻撃してもプラスされたという条件を残せというのです。そうなると、私はいつも商売をして損をせずに残るというのです。分かりましたか? 残る、これです。こうなると、その人が私を利用して食べようとして目的が狂う時は、私がその人に奪われたものを全て奪ってくるのです。 その実践がどこにあるかというと、天の国の神様の中にあるのではなく、私たちの生活圏内にあります。 私たちの生活圏内で天国と地獄が分かれます。 生活圏内で天国が成され、地獄が成されるのです。皆さんの体と心を中心に振る舞う、ここにプラス世界とマイナス世界が行ったり来たりするのです。"

(1971年2月7日み言選集40巻274-301)

⚫体恤信仰は霊界の協助ではなく、自分の霊人体にすることです
“祈りを通して、神霊の役事を通じて恩恵の基準に行けるかもしれませんが、それは霊界で霊人たちが協助してくれてできることです。しかし、本来私たち人間は生命体とか生霊体を持つようになっています。 私自体に霊があるというのです。霊界の協力を受けていない霊力を中心にして霊の作用を啓発さえしておけば霊人たちが指導してくれなくても私自体の生霊体が感知できる能力が生まれるのです。それゆえに、体恤信仰というのは、霊界で協力してするよりも、生活圏内で鑑定して発展させていかなければなりません。自分が被害を受けずに前進的な信仰過程、生活過程を備えることができる人は、間違いなく神様が共にしないわけにはいかないのです。そのように発展した人には教えてくれれば間違いないので、彼が願ってなくても神様が訪ねてくるのです。”

(1971.2.7,選集40:274-301)

⚫観念的信仰ではなく実質的信仰生活
“それを皆さんが初めに感じる感を通じて分析発展させることに努力すれば、自然に自分自身が実際の生活に神様を侍って暮らすようになります。観念的な神様ではなく、生活的な神様として侍って生きてこそ、この険悪な世の中で初めて堕落せずに天国の人格を完成させることができます。祈るばかりで、行動できない人には神様が訪ねてきても損をするので去られるのです。それゆえに、体恤的信仰の基盤を生活圏内に立てることが何より重要であることを知らなければなりません。”

(1971年2月7日み言選集40巻274-301)

 

過去の礼拝のみ言


教会行事案内
○天一国日曜礼拝

日時:12月10日(日)開会:10:00

場所:八王子家庭教会、インターネット中継