天一国日曜礼拝のみ言(陽暦2022年5月29日)
【 礼拝のみ言 】
天一国十年天暦4月29日(陽暦2022年5月29日)
説教タイトル:「 礼拝と私 」
説教者:鄭 東洙 教区長
おはようございます。神様が皆様をここに呼ばれ、会いたくて礼拝の場に招待したという内容であります。なぜなんでしょうか。神様は礼拝の場に呼ばれて、一人ひとりを祝福してあげたいから礼拝の場に招待して下さいました。礼拝を多くの人たちがいろんな定義で話しますけれども、礼拝は人間が神様の祝福と恩恵を経験する場所であると定義しています。
み言全文は会員ページよりご覧ください。
<御言葉の訓読>
さあ、われらは主にむかって歌い、われらの救の岩にむかって喜ばしい声をあげよう。
われらは感謝をもって、み前に行き、主にむかい、さんびの歌をもって、喜ばしい声をあげよう。
主は大いなる神、すべての神にまさって大いなる王だからである。
地の深い所は主のみ手にあり、山々の頂もまた主のものである。
海は主のもの、主はこれを造られた。またそのみ手はかわいた地を造られた。
さあ、われらは拝み、ひれ伏し、われらの造り主、主のみ前にひざまずこう。
主はわれらの神であり、われらはその牧の民、そのみ手の羊である。どうか、あなたがたは、きょう、そのみ声を聞くように。
あなたがたは、メリバにいた時のように、また荒野のマッサにいた日のように、心をかたくなにしてはならない。
詩篇第95編1節~8節
イエス様は堕落した人間に対して、あなたがたは神の宮であって,神の御霊が自分のうちに宿っていることを知らないのか?と言われました。しかし神様は今までそのようにされることができませんでした。なぜ?罪悪となったこの地であり、罪悪の侵犯を受けている環境だからです。神様が創造当時に立てられた理念と心情を通する生活を営むことができない人間になったゆえに観念的には侍ってきたかもしれませんが、生活的には神様に侍って生きる人間ではなかったということです。神様はこのようなすべてのことを清算し、自ら人間たちの心情に落ち着き、人間と共に生きることができる一日を訪ねておられるということを皆さんが知らなければなりません。
神様が人間を訪ねてこられるとするなら、どのくらいまで訪ねてこられるのでしょうか?人間の心の深い場所まで訪ねてこられます。それゆえに“あなたの心をつくし、精神をつくして、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ”と言われたのです。私たちの心の小さな部分までも残しておいてはだめなのです。心を尽くさなければなりません。神様は私たちの心の深い場所まで訪ねてこようとされます。その次には私たちの体まで訪ねてこられます。
私たちの体の細胞の一つまで訪ねて来られます。さらに私たちの生活を訪ねてこられます。心と体、すなわち皆さんの個体を訪ねてこられることはもちろん、私たちの生活の極めて細かい部分まで訪ねてこられる神様だということを皆さんは知らなければなりません。これが神様が愛を中心にして因縁を結ぼうとされる目標です。
文鮮明先生み言選集第11巻131961年2月12日(日), 旧本部教会
| <教会行事案内> |
| ○天一国日曜礼拝 |
| 日時:6月5日(日)開会:10:00 |
| 場所:大聖殿、インターネット中継 |


