「浅川勇男先生をお迎えして より豊かな人生を送るための永生セミナー」開催(陽暦2020年5月18日)

【浅川勇男先生をお迎えして より豊かな人生を送るための永生セミナー】

天一国八年天暦4月26日(陽暦2020年5月18日(月))

講演タイトル:「 真なる愛は、与え、また与えてもなお与えたい心です。 」
講話者:浅川勇男 先生
インターネット中継にて「浅川勇男先生をお迎えして より豊かな人生を送るための永生セミナー」(自叙伝書写会)を開催しました。
<講話>
 今日は、コロナのインパクトにちなんで、この自叙伝書写の尊い意義と「真なる愛は、与え、また与えてもなお与えたい心です」という、こういう心の在り方について関連性を持ちながらお話をさせていただき、皆様の生活の一助になれば幸いであります。
 さて、この特別な菌、新型コロナ菌に対する私たちの対応は、3密と言われるものであります。1つは、このような不幸をもたらす菌に対しては密接にならない。つまり、お付き合いしないということが第一です。それから、このような不幸菌に感染しないように、不幸をもたらす人たち、あるいはまた敬遠する方々と密接に付き合わないということ、つまり、密集しないということですね。それから、ひとつの空間の中にこもらないで、換気をシャットアウトして、そして、外気を閉ざし、専ら不幸菌とお付き合いをする、これを密閉と言います。密集、密閉そして、密接、これを全部合わせて3密と言います。
 さて、このことは、実は私どもが不幸にならない秘訣でもあるわけです。また逆に言いますと、幸福になるためには、この3密が逆に必要だとも言えるわけであります。そういうわけで、このコロナというものがなかったとしても不幸な人はたくさんいました。コロナがあるから不幸になる。これはもちろん、体の調子が悪くなる、咳が出る、異常な高熱が出る、そして、倒れる、そして、休む場所がなくなる、そして、最後は死に至るという死に至る病であります。これ自体は体という観点においては、恐るべき病気ということが言えるでしょう。しかし、考えようによってはコロナが全くなかった、自由に喋り、自由に付き合い、そして、自由に仕事をし、家事もやるという、こういう中でも夫婦関係が良かったですかと、親子関係はすっきりしていましたかと、職場や町内の人間関係は良かったですかと言われると、はてなとこういう風になるわけです。
 最近は、とにかく家にこもるような指導であります。そうなりますと、毎日、日頃顔を向き合わせなかった夫婦が、毎日向き合わせるようになります。また、学校等々に行く子供が、休校になったために、毎日子供と顔を接するようになります。となりますと、夫婦関係、親子関係が毎日継続する、密接になる、こういう関係になりました。それで、結構夫婦の関係がうまくいかない、会話が通じない、こんなにもうまくいかなかったのかということが、あからさまにあるという家庭もあるわけです。言ってみれば、夫婦、親子関係の真実があからさまになるということもあるわけであります。そうなりますと、仮にコロナというものはなかったとしても、夫婦関係は実は良くなかったんだと、あるいは、親子関係、嫁姑関係には亀裂が生じていたのが、お互い接する時間が短かったおかげで、あまり表沙汰にならなかったということも言えます。
 そこで、やがてこの新型コロナが一掃されて、完全に職場にご主人は出かける、あるいはお子さんも学校に行けるようになる、それは確かに健康は解放されるでしょう。しかしながら、本質的な潜在化していた夫婦の課題、親子の課題は依然として続いていきます。さあそこで今日のお話は、不幸というのを夫婦の関係、親子の関係、姑さんお嫁さんにもたらす、あるいは、心そのものにもたらす不幸ウィルス、不幸菌、これは古くからあったので新型ではありません。旧型と言ってもいいかもしれませんが、依然として大きな力を持っていました。この不幸菌、不幸ウィルスというものにどうしたら抵抗力をつけ、免疫力をつけ、対抗することができ、そして、人生に花を咲かせ、幸せを引き寄せることができるのか。こういう観点での話をしてみたいと思います。
 これは不幸ウィルスにいかに立ち向かうかということになります。実はこの話は、先ほど言いました。新型コロナに対する3密、3つの密、つまり、密接しない、密閉しない、密集しない、これがまずコロナでなくても不幸をもたらすものと接しない、不幸をもたらすウィルスと密閉して、自分の体に入れ込まない、それから、不幸をもたらすような恨みや憎しみやあるいはまたゆがんだ心、そこからずっと醸し出される心の波動、そういう人たちと交わらないということが実は重要なのであります。これはコロナに限らず、不幸から私どもがこれをカットして生きるためには不幸をもたらす不幸ウィルスに対して3密ということが必要なのです。
 文鮮明先生は、不幸あるいは健康という点も含めて、空気感染を通して人間に不幸をもたらす具体的な要素としてタバコというものあげています。それから、液体感染として、人間の平常心あるいは本性を失わせるものの一つとしてお酒というものあげています。これは液体感染であります。ある意味では、この今回の新型コロナのおかげで、といえばちょっと過分ですけれども、タバコを吸う人は少なくなって、更にまた、夜の酒場というところに行かないようにという指示が出たものですから、次第に外ではお酒を飲まないようになってきています。いずれにせよ、この大きな不幸をもたらすものと接しないということ、これが第一です。これはあくまでも防衛策であります。
 重要なことは幸運を引き寄せる、幸福になる、そして、前に向いて生きる、このためにはどうしたらいいのか。これは、私たちに幸福をもたらす、幸福な運気、運勢、これと一つになるということが必要です。今度は逆であります。幸福をもたらす、その幸運の運気と一つになる、つまり、密接になるということ、それから、幸運をもたらす人たちがひとつになって結束をする、密集であります。そして、幸運をもたらす運気を自分の体の中に全部入れこんで不幸をカットする、つまり、幸福の中に自分を密閉するという、この3密ということが逆に幸福になる秘訣になるわけです。
 では、私どもに幸福をもたらすものとは何でしょう。これは愛の情念、喜びの情念、感動の情念、幸せの情念です。感謝の心、愛する心、喜ぶ心、そして、本当に人を幸せにしたいという愛情、これらを思い切って体に入れ込む、そうした人たちが互いに一つになる、これが幸せになる大きな秘訣になります。ですから逆です。3密を実践するんだと、良い運勢と一つになる、良い運勢を引き寄せて、良い運勢だけを自分の人生、体内に入れ込み、良い運勢で密閉する、良い運勢をもたらす人たちと密集し、常に交流するという、3密の実践ということになります。
 では、このような良い運勢を引き寄せる、もたらす、これは何がもたらすんでしょう。言葉です。言葉は目に見えません。耳には聞こえます。しかし、実際言葉を書けば目には見えますが、言葉に込められた愛情や想いは目に見えません。喜び、愛情全ては見えません。その豊かな情念を言葉が媒体となって運んできます。言葉とは素晴らしい運勢を私どもにもたらす媒体であり、一つの手段です。よく皆様がご存知のように、言霊という言葉がありますよね。言霊、言葉とは、すなわち霊である。喜びの言葉、感謝の言葉には、感謝の思い、喜びの情念、これが込められています。それを聞くことによって、私どもの心がなんとなく豊かになる、晴れていく、そして、満たされる、言葉を聞いただけでなんとなく解放されるということはあります。それから、また文鮮明先生は、言葉の魂という表現を使います。言葉とは、すなわち口から発する人の魂を運ぶものなんだと。愛情の深い方が口から言葉を発すれば、その愛を言葉を通して、その魂を聞いた人に伝達し、伝えていきます。言霊、言葉魂であります。
 さて、このように考えますと、特にこのコロナインパクトの中において、私どもは、一層幸せになる道を探し求め、かつ幸せにならなくてはなりません。その時非常に必要なことは、コロナに対しては3密を避けるということ。しかし、幸せの運気、幸せの言葉に対しては、3密を実践するということです。つまり、私を幸せにする言葉と一つになる、私を幸せにする人たちとよくネットやスマホで交流する、そして、常に良い言葉で自分を良い言葉詰めにする、密閉する、それが重要です。そのために自叙伝の書写は、今こそ熱心に、真剣にする必要があります。
 文鮮明先生、韓鶴子夫人は、平和を愛する世界人、平和の母であります。全人類を幸せにするためにお生まれになり、その目的を成就するために生涯を歩まれた方なので、ご夫妻なので、文先生、韓夫人のお口から出るそれは愛そのものであり、愛が言葉を通して発散されていきます。それを私どもは、まず目で見て、目から心の中に入れ込みます。次にその文字を口に出して、出した言葉を耳で聞きます。さらに、筆を取って、それを書写用紙に書く、つまり手というものを通しながら、より一層強くこの自分に運気をもたらす言葉を自分の心の中に密閉してくと、そして、良い言葉と一つになる、そして、それをもう一度見て、3回声を出し、これを耳で聞く、こうして目と耳と口、そして、手とこのすべてを通して、良い運気を私どもの心に密接、密集、密閉しながら、心に復興をもたらす、これは自叙伝の書写であります。
 聞くところによりますと、コロナの前には一日1枚書いていた方が、今は1日に10枚、ある人は1日30枚書いているそうです。家にいるわけでありますから、家にいられるということである以上、より幸せの運気を得る必要があり、一日1枚ではもったいないということで、とにかく書く、一月に100枚、こういう感じで、この良い運気を自分の心の中に密集、密接、密閉するという、これは自叙伝の心の書写であります。
 今日はその書写の言葉の中で、最も私どもを幸せにする言葉を皆様は書写します。真なる愛は与えまた与えなお与えたい心です。素晴らしい言葉であり、まさにこの言葉こそ文鮮明先生、韓鶴子夫人の心の真髄、これは今日の心であります。よく人間の幸せの一番大切なものは、愛であると言われる人がいます。確かにお金、健康も重要ですが、愛だと言われる方もおります。そういうドラマも映画も最後は愛で帰結する、これはあります。しかしながら、不幸な人って意外と愛した人なのです。意外かもしれません。落ち込んでいる人、傷ついた人、深い恨みを持った人、その方は、かつて誰かを愛した人である場合が多いのです。もし愛さなければ、何の関係もなかったので、心は気づくことも、恨むことも、切ない心情になることもなかったでしょう。しかし、思い切って愛したために、思い切って不幸になり、思い切って傷つき、そして、打ちひしがれる、そういう方は多いのです。
 演歌の世界、これは全て呻きであります。愛することの切なさ、悲しさ、裏切り、捨てられる、離れる、あんなに愛したのに、しかし、別れが来る、この悲しさや切なさ、痛み、これが歌になり、演歌などになるわけです。となりますと、愛って本当に幸せにするんですかと、事実幸せになってないというケースが結構多いのです。こうなりますと、愛が幸福の要素だと言い切れません。事実がそうなっていないから。となりますと、どうしたらいいのか。文鮮明先生、韓鶴子夫人は、はっきり言われます。私どもに本当の幸せをもたらすのは、愛の前に真なるがついた愛だけなんだと。愛には、愛すれば愛するほど不幸になる愛と愛すれば愛するほど幸福になる愛と二つあるということなのです。そして、それは愛すれば愛するほど幸せになる愛は、ただひとつしかない、それは、愛の前に真なるとこれがついた愛で愛した場合だけなんだと。これを文先生、韓鶴子夫人は発見され、そして、生涯をかけて実践されました。ですから、大きな試練や行き詰まるかのような場合はありましたが、すぐにそれを打開し、そして、未来を拓き、世界に多くのインパクトを与えたわけです。
 では一体、真なる愛はどういう愛なのか、これを知っておく必要があります。それは2つあるということなのです。1つは愛されることよりも愛することを先立てるということです。この優先順位があります。もう道路交通法と同じです。優先順位があるんだ、優先順位を間違うと事故にあう、不幸という事故になります。では優先順とは何か、愛には2つあります。愛されたい、愛したい2つあります。さあ、どちらを先にしたら幸せになるのでしょう。人は愛されたいと普通思います。夫婦であれば、ご主人から愛されたい、奥様から愛されたい、子供であれば親から愛されたい、まず愛されたい、そうしたら幸せになれる、これは人間の言ってみれば道理のようなものでしょう。そして、それを実践しやすいし、したいのですが、真の愛は、愛されたいよりも愛することを優先するんだと。ゆえに真の愛は、まず与える、まず尽くす、まず愛するという、これを最初にやります。これが真なる愛なんだと。愛されることを優先して最初に強くそれを望みますと、欲が強くなり、そして、思った通り愛されないと不平不満になり、やがてその情念は、憎しみや恨みに変わってきます。深く愛されたかったのに、愛されなかったと思うだけで寂しくなり、孤独になり、不平不満になり、結局心に幸せはもたらされません。まず相手にどう幸せをもたらすのか、まず愛する、与える、それが第1です。
 第2番目は、その与えた愛をもし自分の心に記憶していたらそれは不幸の種になります。皮肉なことに、相手に与えた愛が一生懸命与え、そして、本当に自分の心も全てを捧げた場合、それを記憶しておりますと、あんなに愛したのに、あんなに尽くしたのに、あんなに自分はあの人の為に様々のものを捧げたのに、ちっとも結果が出なかった、裏切られた、感謝の心がなかったという思いが来やすいのです。従って、愛した記憶を持ちますと、それは不幸の種まきになります。これは記憶することは、とても重要なことでありますが、通常、真の愛は記憶がありません。なぜなら、また与えたくなるからです。そして、与えるともっと与えたくなるからです。
 今日の言葉は与える、さらに与えるなお与えるもっと与える、止まらないんだと、つまり、愛とは中断なき投入なのです。ですから、愛したい、愛したい、愛したいという思いが次から次へと湧いてくるので、結果が出るということは相手が幸せそうでなければ、もっともっと与えたくなる、そして、相手があまりにもまだまだ寂しげだったら、まだまだ私の愛が不足しているんだなと思い、もっと与えてあげる。そして、相手が喜ぶともっと喜ばせたくなるので、また与えていく、与え、なお与え、さらに与え、また与えていく、こういう記憶を持つ余地がないんだと、常に与え続けていくという、これが真の愛だと、このように不鮮明先生、韓鶴子夫人はおっしゃいます。
 平和の母と言う韓鶴子夫人の自叙伝が出ました。その中には、韓鶴子夫人は、ご自分の愛の在り方、実践した内容が克明に書かれています。その中で、ためらいもなく与えるという表現を使います。つまり、与えることに葛藤しない、与えようか、与えまいか、しかし、み言が与えるになっているので、与えたくないという心を乗り越えて与えていく、ここには躊躇が入ります。韓鶴子夫人は、躊躇したことはないんだと、ためらいなく与えていく、そして、さらにもっと与えたくなるので、結果的に忘れていくんだと、忘れようと思えば記憶してしまいます。愛の持続性がない限り、人は愛を記憶し、結局は愛のおねだりをし、それが来ないことを回顧し、悔しく思い、そして、恨みに変わる要素があるのです。
 真の愛だけが本当にスッキリ、クッキリ、さわやかに愛し続ける、幸運の運気を呼ぶことになります。そういう意味で、今日はこの素晴らしい愛の本質の言葉を皆様が自分の心に書写され、そして、この言葉と一つになる、密接になる、そして、自分の心にこの言葉を完全に刻み込み、入れ込む、心の中に密閉する、そして、体中に密集させる、この真の愛の言葉を、3密実践を通して心に入れ込むという、これがこの幸せになる大きな出発であり、秘訣となります。そういう意味で是非皆様、自叙伝書写を実践しながら、この真なる愛の言葉を日々書き、どの月よりも書き続け、自分の心に刻み込んで、幸せになられることを祈願いたしまして私の講話にしたいと思います。ではどうもありがとうございました。

【 真なる愛は、与え、また与えてもなお与えたい心です。 】
 真なる愛は、与え、また与えても、なお与えたい心です。真なる愛は、愛を与えたということさえも忘れ、さらにまた与える愛です。私は生涯、そのような愛に酔って生きてきました。愛以外には、他のどのようなものも望んだこともなく、貧しい隣人たちと愛を分かち合うことにすべてを捧げてきました。愛の道が難しくて涙があふれ、膝をへし折られても、人類に向かう愛に捧げたその心は幸福でした。今も私の中には、いまだすべて与えきれない愛だけが満ちています。(文鮮明先生自叙伝5~6ページ)
愛の本質とは何でしょうか。
愛の本質とは、人に何かをしてもらおうとする思いを捨てて、人のために、全体のために先に与えて、為に生きることです。与えても、与えたという事実そのものを忘れてしまい、絶えず与えるのが愛です。それは、喜んで与える愛です。母親が子供を胸に抱いてお乳を与えるときに感じる喜びの心情がまさにそれです。(文鮮明先生自叙伝220ページ)

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