地域の紹介

沿 革

この地域に、人が定住するようになったのは、有史以前の時代であります。
はっきりとした形成がなされたのは、平安時代後期の武蔵七党の一つ、横山党がこの地方に興った時であります。戦国時代に入ると、後北条氏が八王子市域を治めるようになり、北条氏照が八王子城を築城します。

1590年に豊臣秀吉と敵対し、上杉景勝、前田利家らの猛攻を受け落城し、この地域は徳川家康に与えられます。八王子を直轄領とし、大久保長安が代官頭をつとめ、この地方の開発を担当しました。徳川氏は武田氏や後北条氏の遺臣で軽輩の者を取り立てて、八王子周辺の農村に住まわせ、普段は百姓とし、軍事目的の場合には、軍役を課す八王子千人同心としてこの地を治めました。

八王子は幕府直轄の天領でありましたし、1700年代に地域自治的なまとまりが生まれたと言われているようです。幕末期、横浜開港により絹が主要な輸出品となり、八王子は生糸、絹の生産地として、また輸送の中継地として栄えていきます。

後、明治維新がおこり維新後、生糸貿易の中継地として隆盛。
1889年に甲武鉄道(現JR中央線)が開通。

1917年多摩地域で初、東京府内で二番目に市制を施行。多摩地域の中心都市に位置づけられました。

1926年に大正天皇が崩御すると陵墓が八王子に選定され多摩御陵と名付けられる。昭和天皇の陵墓もこの場所にあります。

1937年日中戦争期の戦時体制により、繊維産業が衰退してしまいます。
太平洋戦争末期には米軍の攻撃目標にされ大きな戦災をうけてしまいます。

戦後徐々に復興し1965年に20万人、1974年に30万人、1983年に40万人、1995年に50万人と人口が増えていきました。

1963年の工学院大学の移転を皮切りに、23の大学があり、約11万人の学生が学んでいる全国有数の学園都市です。

1994年に京王八王子駅ビル、1997年に八王子北口地区開発、2010年八王子駅南口地区再開発が完成しました。

2012年、八王子駅北口駅ビルがリニューアルし単館としてはJR東日本最大の駅ビル商業施設「セレオ八王子北館」が開業、また、首都圏中央連絡自動車道 高尾山ICの供用が開始しました。

2013年、新滝山街道が全線開通。

2014年、首都圏中央連絡自動車道 高尾山ICと相模原愛川ICが開通。これにより東名高速道路・中央自動車道・関越自動車道が結ばれる。

2015年、東京都で初めての中核市に移行決定(制定される)。高尾山の観光客もめざましく増加し現在にいたっております。

八王子市の名前の由来(八王子市のページ)


八王子市の世帯と人口

人 口561,083  人
男 性280,342  人
女 性280,741  人
世帯数282,195 世帯
うち外国人住民15,363  人
令和5年10月末日現在