【礼拝のみ言】

天一国元年天暦7月5日(陽暦2013年8月11日)

説教タイトル:「 『真の父母』と結ばれた因縁の強度 」
 救いが必要な我々自身において、父と共にいることができるたった一つの因縁、神様と共にいることができず、神様と因縁を結ぶことができない人類が、自由な環境で神様と因縁を結ぶことができるよう神様が送ってくださった方が、「真の父母」です。「真の父母」を自身に無条件の因縁を結んでくださった神様に、何をもって感謝しますか。皆さんは、どれほど感謝を捧げましたか。そして、皆さんが救われるようにしてくれた、その恵みに対して、歓喜で和合しながら勝利を誓わなければならない自身であるということを、どれほど考えてみましたか。無限の希望をもって、無窮の価値をもって、再出発するという考えを、どれほどしてみましたか。これが問題です。
 「真の父母」との因縁は、霊界からではなく、地上からつながらなければなりません。「真の父母」は、実体を備えて地上に来られるため、自分が呼べば答えてもらうことができ、自分が難しい立場にあれば、同情してもらうことができるのです。このように平面的な途上で「真の父母」に会うことができるということは、人間たちにとってどれほど幸福なことか分かりません。
神様は、今までどんな困難があっても、それを克服して、決定的な勝利を収めようとされました。ここで、自分が勝利の王者になるか、なれないかということが問題です。その心情に一体となって、「離そうとしても離すことができない自身になった」と言えなければなりません。言い換えれば、神様と共にいるという信念、「真の父母」と共にいるという信念が、生涯路程の軸にならなければなりません。それで、我々が行く方向で動揺がなく、千年、万年持ちこたえ得る自我になってこそ、地上天国と天上天国がつながるのです。すなわち、天上の主人として臨むのであり、地上の主人として臨むのです。ここで初めて、天上天国と地上天国が開かれるのです。
このような因縁は、楽な立場で結ばれるのではありません。難しい立場、それ以上ない深刻な立場、死ぬか生きるかというさなかにおいて、より一層冒険する立場で結ばれるのです。
それゆえ、聖書を見れば「死なんとする者は生き、生きんとする者は死なん」と言いました。これは、イエス様の時代錯誤的な言葉のようですが、このように行くのが復帰の道を行くにおいて、心情の世界に似ていくにおいて、正常な姿勢であり、正常な態度だと言えます。このような境地を追求していく自分であることが明らかであるなら、自分の行く道は真なる路程になるのです。

天聖経「地上生活と霊界」より