【礼拝のみ言】

天一国二年天暦10月30日(陽暦2014年12月21日)

説教の前に徳野会長の映像メッセージがありました。
説教タイトル:「 神はこの地を見捨てられない 」
説教者:入山聖基教会長
地上が問題なのです。それが、なぜキリストが地上に帰って来られなければならないかの理由であります。世の終わりがくる時、神はすべてを破壊され、日は暗くなり、星は落ち、わずか一握りのクリスチャンたちが空中に引き上げられ、キリストと共に至福千年を迎えるということを、多くのクリスチャンは信じております。しかし、もし神がそうされるなら、神は失敗の神になってしまいます。というのは神の本来のみ意が、この地上においては決してなされないからであります。サタンのためにこの地上を見捨てることになるからであります。それではサタンは事実上の勝利者となってしまって、神は敗者になってしまうからです。そのようなことは決して起こらないでしょう。神は全能であらせられます。神はこの地をあきらめることは決してされないでしょう。神の国はそう計られたゆえ、成るのです。このニューヨークもまた神の国となりましょう。もしあなた方がメシヤの訪れを見るなら、あなた方は神の国の住民となれるでしょう。彼はあなたの希望であり私の希望であり、アメリカそしてこの世界の唯一の希望であります。

「御旨と世界「キリスト教の新しい未来」」より
(1974.9.18・マディソン・スクエア・ガーデン)

【説 教】

今年を振り返ってみますと、様々な艱難辛苦がありました。聖書の中に世の終わりの徴候という話があります。マタイ福音書23章24節を見てみます。「世の終りには、どんな前兆がありますか」。 と弟子が訪ねた事に対してイエス様は次のように答えています。
そこでイエスは答えて言われた、「人に惑わされないように気をつけなさい。多くの者がわたしの名を名のって現れ、自分がキリストだと言って、多くの人を惑わすであろう。また、戦争と戦争のうわさとを聞くであろう。注意していなさい、あわててはいけない。それは起らねばならないが、まだ終りではない。民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。またあちこちに、ききんが起り、また地震があるであろう。しかし、すべてこれらは産みの苦しみの初めである。そのとき人々は、あなたがたを苦しみにあわせ、また殺すであろう。またあなたがたは、わたしの名のゆえにすべての民に憎まれるであろう。そのとき、多くの人がつまずき、また互に裏切り、憎み合うであろう。また多くのにせ預言者が起って、多くの人を惑わすであろう。また不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えるであろう。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。そしてこの御国の福音は、すべての民に対してあかしをするために、全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである。
今年2014年には、この“終わりの日の徴候”が全て起こっています。セウォル号沈没事故やマレーシア航空機の行方不明事故、御嶽山の噴火、ウクライナやタイ、台湾、中国、アメリカの黒人暴動など世界各地で暴動がおこりました。イスラム国が建国され、また、エボラ出血熱やデング熱などの疫病などです。
今も各地で異常気象の災害が起きています。今年を越えるのに簡単ではないことを暗示しているようです。“終わりの日”について考えてみましょう。起こっている様々な現象は、この世が終わる日を示しているように見えます。しかし、イエス様は、こう言われました。「それは起らねばならないが、まだ終りではない。」とあります。
つまり、様々な事が起きますが、その現象そのものが終わりの日を意味しているのではないという終末観を教えているのです。本当の終わりの日とは、何でしょうか。「この御国の福音は、すべての民に対してあかしをするために、全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである。」とあります。
つまり、本当のみ旨の“終わりの日“とは、すべての人が神様のみ旨、み意を知る日なのです。“終わる”とは、神様の復帰摂理が終わるという意味なのです。ですから、“終わりの日”とは、絶望の日ではなく、“希望の日“であるというのが、摂理的終末観なのです。
従って、“終わりの日”とは、私たちが待っていて終わるのではなく、終わらせなければなりません。これが、キリスト教が考えていた終末観とこの世の人が考えている終末観と私たちの考えている終末観の違いです。私たちは、神様のみ旨を知っていますので、終わらせなければならない使命を持っています。それは、全人類が祝福結婚の恩恵を受ける日なのです。それが天の切実なる願いになっているのです。
それで、今年は祝福の運勢があった年でした。新潟や千葉では一度に430双以上の祝福式が開催されました。先日、多摩東京でも82組の祝福式を行いました。そこに、天運と霊界の協助があったのです。来年2015年は、さらに多くの人々が祝福の恩恵を受けるでしょう。そこに人類の希望があるのです。
さて今年もクリスマスのシーズンになりました。クリスマスはイエス様の聖誕祭です。世界中でお祝いします。今日、訓読した御言は、若き真のお父様が40年前、アメリカの中心、マディソン・スクエア・ガーデンに堂々と立って、アメリカと世界人類の救いをかけて宣布された御言です。
その御言によれば、人々は、なぜキリストがこの地に来られたのかを知らないというのです。「地上が問題なのです。それが、なぜキリストが地上に帰って来られなければならないかの理由であります。」なぜ、キリストはこの世に来られたのでしょうか?問題が多いこの地、目を背けたくなる現実がたくさんあるこの地に来られたのでしょうか?
なぜ、この地上にキリストを迎えながら、正しく迎えられなかったのかと言いますと、“なぜキリストがこの地上来られるのかという理由を知らなかった”からです。クリスチャンは、来るべき終末のときに、文字どおり終わりの日に、この世の中は滅びてくが、イエス・キリストを信じていたならば、新天新地に行って、永遠の幸福を得るという信仰感を立ててきたのです。しかし、それは、神が滅び行くこの地を見捨てるという事を意味します。
しかし、神が滅び行くこの地を見捨てるならば、神の敗北を意味し、サタンの勝利を意味するというのです。それは本当の信仰ではありません。神様は、この地を見捨てられないのです。どんなに滅びそうで、大変でも諦められない。見捨てることができません。神様は敗北することが出来ません。それが、キリストがこの地に来られる理由なのです。
私たち人類はすでに2人のキリストをこの地にお迎えし、この地から霊界にお送りました。40年前の真のお父様のみ言ですが、このみ言を聞けば心が痛くなります。私たちもクリスチャンと同じ信仰に陥る可能性を持っているのです。私たちにも大変な現実があります。難しい事があります。
理想を教えて頂いても理想通りいかないもどかしさ、無力感、挫折感を感じ、現実から逃避したくなることがたくさんあります。その中で私たちはどの様に考えるべきでしょうか。神様はこの世を見捨てられません。神様は現実が大変でも諦められないのです。私たちは、現実から逃げて現状を守って、信じ従えば霊界に行ったときに天国に入ることが出来るという考え方でいいのでしょうか?
そのような信仰感になってしまっては、クリスチャンと同じになってしまいます。クリスチャンとイエス様の関係が私たちと真の御父母様との関係と何も変わらなくなってしまいます。40年前のお父様のみ言を通して、もう一度現実を直視しなければなりません。
サタンは、この世は偶然の産物であり無意味である。無意味なものは滅びるのが運命だと長い間かけて教育してきました。信仰を持っていない人は世の中を悲観しますが、実は信仰を持っている人も世の中を捨てているかもしれませんね。
神様の心情と私たちの心情がズレてしまってはいけません。ヨハネによる福音書3章16節を見てみます。「神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛してくださった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」とあります。
神様はなぜひとり子を犠牲にされたのかというと、この世を滅ぼす事が出来ないからであります。もしこの世を滅ぼすような事があるなら、イエス様がこの地上に来られて、十字架上で血の祭物になる必要はありませんでした。真のお父様がこの地上に来られて、何度も拷問され、嘲笑罵倒され、ご苦労されながら、犠牲の生涯を歩むことはありませんでした。
なぜ犠牲の道をキリストが行かれたかというと、この地を捨てられない神様のみ旨ゆえでありました。真のお父様の生涯は、私たちを許し、生かしてくださいました。私たちは、終わらせなければなりません。終わりの日を迎えることがお父様の願いでもありますし、地上でご苦労されている真のお母様の願いでもあります。
その天の御旨に真っ直ぐ立つ人私たちとなりましょう。来年2015年に、皆様と、ご家族のさらなる成長、発展があることをお祈りいたします。

ここに掲載されているのは、礼拝内容の一部です。
内容全体は、来教して礼拝映像を視聴しましょう。

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