「浅川勇男先生をお迎えして より豊かな人生を送るための永生セミナー」開催(陽暦2019年7月10日)

【浅川勇男先生をお迎えして より豊かな人生を送るための永生セミナー】

天一国七年天暦6月8日(陽暦2019年7月10日(水))

八王子家庭教会礼拝堂にて浅川勇男先生をお迎えして より豊かな人生を送るための永生セミナー(自叙伝書写会)を開催しました。
今月のみ言「一生は永遠の世界に行くための準備」を全体で唱和し、浅川勇男先生の講話になりました。
<講話>
幸せな家庭と先祖の救いについてお話したいと思います。亡くなった後の生活のこと、先祖の生活について、先祖の生き方が私達の生き方に反映してくるという内容について話をしていきます。
まず、先祖を愛しましょうということです。見えない先祖を愛しているでしょうか。先祖は悲しい人達かもしれません。電気・ガス・水道・水洗トイレ・食べ物など今では普通にあるものがありませんでした。先祖は私達に愛を求めています。後孫の使命は見えない先祖を愛するということです。
先祖の思いは、夫婦関係、親子関係に映し出されます。家庭は先祖の鏡だということです。不幸になるために結婚する人はいないと思います。人間の努力だけで幸せになれません。どうして亀裂が生じるのでしょうか。先祖の訴えです。「先祖救ってわが身助かる」ということです。
先祖がいるということは永眠していないということです。霊界で永生しています。ご臨終した人に亡くなった自覚はありません。永眠してしまったら倫理道徳の概念が必要ありませんね。愛するものとの離別を神様が悲しみます。肉体は時間の経過に伴い衰えますが、人間には霊人体があるということです。これが人間と動物の違いです。霊人体は衰えません。親子の関係は永遠なのです。
死とは出発です。霊界に行く出発点が死であります。ところで死んだら性格が変わると思いますか。変わりません。現世で酷い生活をして霊界に行って天国にいけますでしょうか。いけません。先祖がある人を憎しんで死んだ場合、霊界でも変わりません。現世で誰かを怨んでいるのであれば、解きなさいということです。霊界で解ければよいのですが、嫉妬、殺意、情欲など消えないのです。霊界では苦しみになります。
不幸の原因が何かというお話をします。根性の悪い人は霊界では地獄に行きますが、地獄にもいけない先祖がいます。行きたいけど行けないということです。それは、怨みの情念から発生します。人を怨む、怨まれるということです。
人間は母親の体から生まれますが、肉身と霊人体を生んでいるのです。母親の霊人体と子供の霊人体は切っても切れない関係となっています。一人の肉体に一人の霊人体が入っています。これが原則です。怨みを相手にもたせたらこの原則が崩れます。先祖が誰かに傷つけられた場所が傷つけた人の後孫の病気になったりします。突然、殺傷された方の霊人体は肉身から一気に抜け出します。その肉体の死という怨みが残りますので、傷つけた人の後孫の霊人体に入って後孫を苦しめるということです。
怨まれた場合はどうでしょう。何代もの後孫に影響を与えます。過去の出来事が現在の私達の生活にかかわってくるのです。ある亡くなったAさんの中に入っている怨みの霊が亡くなる3時間前に出て、Aさんの霊人体が出てきた時に羽交い締めにします。その状態でAさんの後孫の霊人体に怨みの霊が入り込んで後孫を苦しめます。その後孫がなくなれば、更にその後孫へと移動していきます。人倫道徳があっても原始人にも劣る事件が発生しているのもそういう怨みの霊の影響です。
この救いはどうしたら良いのでしょうか。倫理道徳では救われません。先祖を怨む霊の分立をしない限りこの問題を解決することができないのです。怨みをなくすには怨みの情念を解かす父母の愛情を注ぐ事が必要です。父母から愛されたという情感が怨みを超える事ができます。自分の生まれた時代環境への怨みもあり、神様への怨みを持っている先祖もいますが、なぜ、そういう時代があったのか、神様の心情を理性的に理解できない限り怨みを解くことができません。
怨みの霊を分立することによって悪霊から善霊になりますが、その善とは、怨みが解けただけではなく、怨んだ人を幸せにする霊ということです。
この道を開いた方が真の御父母様なのです。人類救済の道なのです。この恩恵を受けられる時代に皆さんは生きています。

 

【 一生は永遠の世界に行くための準備 】

 私たちは、この世に生きていますが、この世だけではなく、霊界があることを知っています。この世と霊界は、二つの世界ではなく、一つの世界としてつながっています。
 私たちが行くべき所、我々が行って暮らすべきその所とはどこでしょうか。私たちは、肉身生活をしながらこの地にいますが、永遠の世界に向かって進んでいます。一般の人たちは、世の中に生まれて、十代、二十代、三十代を過ぎ、青春時代を過ぎて、壮年時代に入っていくようになり、一つの峠を越えて老年時代に入っていき、沈む太陽のように、一生を終え、そこですべて終わると考えています。しかし、霊界があるという事実を知る人たちは、人生というものがつかの間で、死んだのちに迎えなければならない永遠の世界があることを知っているのです。
 一生は、永遠の世界に行く準備をするための期間です。

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