「浅川勇男先生をお迎えして より豊かな人生を送るための永生セミナー」開催(陽暦2019年4月10日)

【浅川勇男先生をお迎えして より豊かな人生を送るための永生セミナー】

天一国七年天暦3月6日(陽暦2019年4月10日(水))

八王子市芸術文化会館いちょうホール(小ホール)にて浅川勇男先生をお迎えして より豊かな人生を送るための永生セミナー(自叙伝書写会)を開催しました。
今月のみ言「真なる愛は与え、また与えてもなお与えたい心です」を全体で唱和し、浅川勇男先生の講話になりました。
<講話>
「自叙伝書写が始まったのは東日本大震災の後です。心を失ってはならないと自叙伝書写がはじまりました。私たちは来世があることを知らなければなりません。来世で生き続けるということを永生といいます。そして、来世の生き方は、肉身生活の生き方で決まってきます。私たちの幸せ、先祖の幸せについて考えてみたいと思います。
この講座は3つのテーマでお話したいと思います。
1、先祖を愛しましょうということです。
人間関係には、見える人間関係と見えない人間関係があります。見える人だけでなく、見えない先祖も愛しましょうということです。
2、家庭は先祖の鏡であります。自分の顔を自分で見ることはできません。鏡で自分の顔を映し出して見ることができます。同様に、先祖の心情が子孫の家庭に映し出されています。先祖の幸不幸が私たちに関係してきます。
3、先祖を救ってわが身が助かる。歴代の先祖が皆、幸福であるならば皆さんは幸せになるのですですから、先祖を幸福にしてあげなければいけませんね。
1、先祖を愛しましょう。
愛とはなんでしょうか。マザー・テレサさんという方がいますが、人生を愛に捧げた人です。故郷を離れ、修道院を出て、カルカッタの人々のために人生を捧げました。マザー・テレサは、「愛の反対は無関心です」と言われました。「知ろうとしないことです」と言われました。先祖のことを知っていくことが、先祖を愛することの出発です。
どの地域にも歴史があります。皆さんが生活できるのは、電気、ガス、水道があるからですね。しかし、それらがない時代がありました。ごみ処理、トイレ事情など、先祖が生きた環境を知らなければ愛せません。
幸せになるためには、前向きな努力で諦めないということであります。人を大切にし、愛するということです。幸福は頂くものであります。人に尽くせば返ってくるのです。大切にする人々とは家族、親族です。血筋とは硬い絆です。血筋の見えない親族が先祖です。先祖は子孫を頼っていくわけであります。
先祖の生きた時代を見てみたいと思います。食料制度、医療制度などの社会制度も異なります。現在、日本の平均寿命は男女共に80歳を越えていますが、1947年は50歳でした。江戸時代の平均寿命は30歳です。徳川幕府の方々の平均寿命でさえ38歳でした。鎌倉時代は15歳でした。理由は、2歳まで生きられなかったのです。多くの乳幼児が栄養失調で亡くなっていきました。
その中で、身分制度もありました。江戸時代におきまして、差別、不平等、士農工商、武士優遇、男尊女卑ということがありました。女性が虐げられました。一緒に食事ができない。7歳になったら売られるなどされました。
環境は劣悪でした。小学校、中学校の義務教育はありませんでした。教育施設の不備です。食糧事情、医療事情もよくありませんでした。現在はどうでしょうか。たくさんありますね。
戦乱と天災、飢餓、子捨て、姨捨て、早死、若死がありました。食料問題の不備で子供を捨てるということがありました。貧しかったのです。年をとれば、自分を捨てろと言いました。家族の誰かを犠牲にしないためであります。山に明かりはありませんでした。山に捨てられる自分のことよりも、子供の帰路のことを心配しました。
理不尽で無念な死、陰謀、策略、切腹がありました。先祖の悲しみと怨みという、父母の子供を愛しきれなかった悲しみと子供の愛されなかった悲しみがあります。生き地獄でした。ですから死に希望を託すこともありましたが、そこに永眠はなく、永生していくのです。人間の体は、霊人体と肉身の二重構造になっています。霊人体は永遠に生き続けます。消滅しません。なくなるのは肉体だけです。
肉体は五感がありますね。感覚によって認識しています。死は霊界への出発です。根性はあの世でも変わるのでしょうか。どうでしょうか。死んで人格は変わるのでしょうか。変わりません。今の皆様の心の状態で来世に行くのです。怨みや憎しみ、苦しみ、復讐心、殺意、情欲も変わりません。地上生活で悲痛人生であれば、霊界生活では激痛人生を送ることになります。
ですから先祖は血のつながりを通して、子孫に訴えます。子孫に苦しみを訴えます。救いを求めます。それが子孫の不幸、家庭不和に繋がります。自分の思いからではなく人を傷つけてしまうことがあります。そのような先祖からの環境的与件をどのようにしたらよいのでしょうか。不幸とどう向き合えばいいのでしょうか。それは不幸を甘受することです。
1、逃げないということです。受け止めるしかありません。不幸から逃げれば不幸が追ってきます。
2、怨まないということです。怨んで幸せになれる人はいません。
3、妬まないということです。自分より幸福な人を見て妬んで幸せになる人はいません。
自分が不幸な中で不幸な人を助けることができれば幸福の道になっていくのです。先祖を愛してください。先祖は、時代に対して、家族に対して愛を感じることができなかった方がいます。
先祖を救うとした場合、先祖を病人と考えてください。愛の病にかかっているのです。ですからお見舞いし、手術し、完治させ、健康な状態にしてください。お見舞いは愛の実践ですね。お花や食べ物を持っていき、励ましますね。このお見舞いが供養です。先祖の慰霊です。それは生きている人と同じように愛するという事です。
名前を調べてあげます。先祖は名前を忘れられるということが一番つらいのです。それから名前を呼んであげるということです。存在を認めてくれることになります。必ず敬称をつけて、愛情を込めて呼んであげることです。現在のお彼岸やお盆に先祖を敬う文化がなくなりつつあります。先祖を迎える準備がなければ、門を閉じた家と同じなのです。供養だとしても形式的であればどうでしょうか。お供え物が先祖と好みが違えばどうでしょうか。慰められるでしょうか。情の交流が大事なのです。
自叙伝書写は最高の慰霊、先祖供養になります。文先生から与えられた愛で先祖を思いながら書写することで慰霊、供養になるのです。
そして、先祖を愛情の深い人に変えてあげるのです。それを先祖解怨と言います。先祖の怨みをとかし、苦しみを喜びに変えてあげるのです。教育と愛でしか怨みはとけません。先祖の救いの道は先祖解怨で行えます。この先祖解怨の道をひらいて下さった方が文先生ご夫妻であります。先祖解怨が先祖の手術です。この先祖解怨を行える場所が韓国の清平です。先祖解怨に尽きましては次回の講話でお話します。

 

【 真なる愛は与え、また与えてもなお与えたい心です 】

真なる愛は、与え、また与えても、なお与えたい心です。真なる愛は、愛を与えたということさえも忘れ、さらにまた与える愛です。
私は生涯、そのような愛に酔って生きてきました。愛以外には、他のどのようなものも望んだこともなく、貧しい隣人たちと愛を分かち合うことにすべてを捧げてきました。
愛の道が難しくて涙があふれ、膝をへし折られても、人類に向かう愛に捧げたその心は幸福でした。今も私の中には、いまだすべて与えきれない愛だけが満ちています。(文鮮明先生自叙伝5~6ページ)
愛の本質とは何でしょうか。
愛の本質とは、人に何かをしてもらおうとする思いを捨てて、人のために、全体のために先に与えて、為に生きることです。
与えても、与えたという事実そのものを忘れてしまい、絶えず与えるのが愛です。それは、喜んで与える愛です。母親が子供を胸に抱いてお乳を与えるときに感じる喜びの心情がまさにそれです。(文鮮明先生自叙伝220ページ)

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