【文鮮明先生自叙伝書写会】

天一国六年天暦4月29日(陽暦2018年6月12日(火))

八王子市学園都市センター(東急スクエア12階)イベントホールにて文鮮明先生自叙伝書写会を開催しました。エンターテイメント、書写の証がありました。今回の書写の証は、映像で視聴しました。「書写を書くことによって自己中心の思いがなくなり、主人や子供に関心を持つことで、家族の絆が強くなった」という感動的な証でした。
今月のみ言「心を明るくし清めよう」を全体で唱和し、入山聖基先生の講話になりました。
「心の書写と言いますように、心のあり方が大切です。見えない心に価値をおくよりも、見えるものに価値をおいて生きているように思えますが、私たちには心があります。良心があります。世の中の出来事に良心が痛くなるような出来事があります。
目黒で起きた事件がありましたね。その5歳の子は衰弱死しました。しかし、この子は手記を残していました。この手記を読んだときに皆さんの良心が痛みませんでしょうか?
子供はどんなに虐待されても親を神様のように慕ってくるそうです。私たちが生きている日本社会は豊かでありますが、このような出来事が多く発生しています。
その特徴として、わかっていながら止められないということです。このような世の中を何とかしたいではないですか。その解決は私たちの心が変わるしかないのです。
良心は不思議な存在です。私たちが振れた生き方をしたとしても、良心は振れないのです。悪いことをすれば心が痛むようになっているのです。この良心の正体を様々な方が追求しましたが、誰もわかりませんでした。
カントは崇拝すべきものが2つあるといいました。天体と良心だといいました。変わらず善を求めるのが良心であると言いました。チャールズダーウィンは、科学者ですが、人間と動物の違いは、人間には良心があるということだと言いました。
良心の正体は何でしょうか?これに対する答えは文先生の自叙伝に出てくる一説です。良心は先生であるということです。「友人よりも父母よりも尊いのが良心です」と言っています。そのような良心が私たちと共にいるということはありがたいではないですか。
良心の声に耳を傾けて、良心が悲しんでいることは止めなければ自分も不幸となってしまいます。何が正しくて何が悪いのかというのをわかるのが良心です。
良心の正体は神様が与えた心です。ですから振れないのです。良心の力を発揮させるのは言葉が大切です。心の栄養、心の種は大切です。書写は最高の言葉を書き写すことによって心に栄養を補給しているということです。
心と体の関係において、見えない世界が見える世界に現れているということが分かってきました。人間関係の中で様々な現象が生じますが、それは自分の心の現れだと言い、鏡の法則というのもありますね。
今起こっている現象は、自分の心が鏡に映っているということですね。また、何を語ったかということが大切になります。ですから話した通りの人生になるということです。言葉が大切です。鏡の法則が話題になりましたが、その話をしてみたいと思います。(内容省略)
必然の法則といのがあります。一見不幸のように思えるような内容は何かメッセージが含まれています。その問題は自分で解決できるということです。しかし、その人だけの問題だけではないような事件が発生する場合もありますね。
イスラム国のテロで奥さんを亡くした方がいます。この方はテロリストに対してメッセージをだしました。「僕は君たちを憎まないことにした」というメッセージです。
憎むのは簡単です。しかし、憎まないという決断をしました。それは息子にその憎悪を残さないようにするためでした。自分のせいではないような災難があるかもしれませんが、それを憎まず、恨まず、その連鎖を断ち切ろうとしたのです。
この方は、良い言葉をたくさん聞いて、読んでいた方だったのかなと思います。困難な人生の中で出てきた言葉が文鮮明先生ご夫妻の言葉です。良心の声に耳を傾けて心身統一しましょう」と語られました
全体で書写の実践をした後、「愛の架け橋」を讃美し、最後に入山先生が祝祷され閉会しました。

 

【 人々に幸福をもたらす者となろう 】

 自分の最も親しい先生は自分の良心です。 最も親しい友人よりも貴く、父母よりも貴いものが自分の良心です。ですから、一生を生きていながら、最も親しい先生であるこの「良心」に、「私は今、正しく生きているか?」といつも尋ねなければなりません。良心が自分の主人だという事実を悟り、心を磨き、生涯親しく過ごしてみれば、誰もが良心の声を聞くことができます。良心が涙をぽろぽろ流して泣く声を聞いたら、この時にしていることはすぐに止めなければなりません。良心を苦しめることは、自らを滅ぼすことだからです。良心を悲しませることは、結局、自らを悲しみに陥れることです。

 心を明るくし、清めようとすれば、世の中の喧騒を離れて、私と私の心、この二つだけが対面する時間が必ず必要です。とても孤独な時間ではありますが、心と親しくなる瞬間こそ、私自身が心の主人になる祈りの場であり、瞑想の時間です。周囲の騒々しさを退けて、心を静めていけば、心の中の最も深い所が見えてきます。心が落ち着くその深い場所まで降りていくためには、多くの時間と労力を注がなければなりませ。(自叙伝234-5ページ)

  

 

 

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