【幸福を招く文鮮明先生自叙伝書写会】

天一国四年天暦11月11日(陽暦2016年12月9日(金))

八王子市学園都市センター(東急スクエア12階)イベントホールにて自叙伝書写会を開催しました。オープニングに書写のゆるキャラが今回のみ言を紹介しました。エンターテイメント、書写の証しがありました。
証しは、「自叙伝書写と統一原理を学んで、家庭での親子関係、夫婦関係が奇跡的に変化した。」という内容でした。(詳細は、書写の証しを御覧ください。
今回のみ言「私は今、正しく生きているか」を全体で唱和し、佐野邦雄先生の講話になりました。
講話は、本日のテーマである「私は今、正しく生きているか」の真の愛を中心に分かりやすく語られました。
「今日のテーマ通りに生きているかと考えさせられます。今日のみ言では、良心は私の先生であるというところから始まっています。すべてを越えて尊いものです。良心に向かって問いかけながら生活しなければならないということです。
良心の声がすべて答えてくれるということです。良心が痛むようなことであれば、生活が間違っているということになります。深く内省することが大切です。
人間は、心と体から出来ています。しかし、心は見ることができません。見えない心がどうしてあることがわかるのかというと、”考え”、”思い”、喜怒哀楽などの動機を持ちますね。
光と空気は見えませんがありますね。目に見えないからと言ってないとは言えません。電波もそうです。空気もそうです。愛も目に見えませんが、愛情を感じるという経験からわかります。目に見えないものは大切なものが多いのです。心の豊かな人、正しい人、人情の厚い人、日々の生活の中で実感しています。人格は心の実相です。
しかし、心は本心・良心と邪心という心に二面性があります。本心は善を成そうとする心です。邪心は、悪を願わないのに、それを行ってしまう心です。
心は、半分に線をひいて割り切って考えられるものではありません。赤ちゃんには良心はありません。成長すると共に良心が芽生えてきます。
社会にでると規範があります。常識というものがあります。時代や、国や育った背景によって良心の基準が違うというのも問題となっています。何が善で悪かという判断基準です。
邪心は、”魔が差した”、”出来心”という言葉がありますが、突然悪いことをする心が出来上がってしまったという問題があります。
良心の声を聴きなさいと文先生は言われます。良心は、正しいこと、善に導こうとする心です。その良心は、赤ちゃんの時から根底にあります。種がなければ育ちませんからね。
良心作用は神様が働くように作ってくれたのです。良心の呵責は重要です。これがなければ、人間は徹底的に悪に走っていきます。良心は悪の作用に歯止めをかける役割をします。軌道修正をします。
自叙伝は、文先生ご自分の歩みを記述してあるます。ということは、文先生ご自身がそのように生きてきたということです。
私が正しいという考え方では争いが生まれます。一歩引いて、相手の立場でものごとを考えるということが大切です。統一というのは、複数のものを一つに収集していくことです。為に生きる精神が人間関係の中で和合していきます。
邪心は、自分を中心とした考え方です。良心は、自分を置いて、相手のことを先に考えることです。良心の声は神の声です。神は真の愛の方であります。
書写をしていくことで、私たちの心を正しくしていくことができます。今月も書写をして心に種を撒き、愛の実践をしていきましょう。」と語られました。
全体で書写の実践をした後、しあわせってなんだろうを讃美し、最後に佐野先生が祝祷され閉会しました。

 

【 私は今、正しく生きているか 】

 自分の最も親しい先生は自分の良心です。最も親しい友人よりも貴く、父母よりも貴いものが自分の良心です。ですから、一生を生きていきながら、最も親しい先生であるこの「良心」に「私は今、正しく生きているか?」といつも尋ねなければなりません。
 良心が自分の主人だという事実を悟り、心を磨き、生涯親しく過ごしてみれば、誰もが良心の声を聞くことができます。良心が涙をぽろぽろ流して泣く声を聞いたら、その時にしていることはすぐに止めなければなりません。良心を苦しめることは、自らを滅ぼすことだからです。
 良心を悲しませることは、結局、自らを悲しみに陥れることです。心を明るくし、清めようとすれば、世の中の喧噪を離れて、私と私の心、この二つだけが対面する時間が必ず必要です。とても孤独な時間ではありますが、心と親しくなる瞬間こそ、私自身が心の主人になる祈りの場であり、瞑想の時間です。(平和を愛する世界人として 234~235ページ)

 

2016-12-09_shosha01 2016-12-09_shosha02

 

 

   過去の自叙伝書写会