【幸福を招く文鮮明先生自叙伝書写会】

天一国四年天暦7月8日(陽暦2016年8月10日(日))

八王子市芸術文化会館(いちょうホール)小ホールにて自叙伝書写会を開催しました。オープニングに書写のゆるキャラが今回のみ言を紹介し、エンターテイメントが披露されました。続いて書写の証しがありました。
証しは、「文先生の書写の言葉や統一原理は、心を復活させ、病を回復させる奇跡の言葉」という感動的な内容でした。(詳細は、「書写の証し」を御覧ください。
今回のみ言「神様を愛する」を全体で唱和し、浅川先生の講話になりました。
講話は、「どうしたら幸せになれるのか。」というテーマで始まりました。
「よく困ったときの神頼みなどと言いますね。それで、神社などにお参り行きますね。今回のテーマである「神様を愛する」はちょっとこれと違いますね。
「神様を愛する」。これは、意外とすごい言葉です。
今まで、神様を信じて、すがった人は沢山いたと思いますが、神様を愛した人はどれくらいいますか?文鮮明先生は神様を愛した人です。
統一原理という真理を日本に伝えてくださいましたが、それは、日本人を幸せにしたいという心があったのためです。
神様を信じることで皆が幸せになっているとは限りません。むしろ神様にすがったことで結果が出ないことにより信仰を捨てる人がいます。
しかし、神様を愛することで信仰を保ち続けていかれた方が文鮮明先生です。文先生が愛した神様は、八百万の神ではなく、唯一絶対の神様を愛したのです。
“すがる”と“愛する”とは何が違うのでしょうか?深い信仰に関わりを持つとき、それは不幸が原因となっている場合があります。文先生も不幸な環境に見舞われました。
信仰しているのに不幸な環境が起きたのです。その中で、文先生は、どの様に考えたのかというと、自分の家庭の苦しみは、韓民族、あるいは人類の苦労の象徴なのだと考えました。そして、神様を愛する人となりました。
人を愛する、喜ばせるということが神様を愛するということです。自分を犠牲にしてでも人の幸せを願うことが愛です。愛には、忍耐と犠牲が伴います。
神様を愛するということは、神様を喜ばせるということです。神様を幸せにしてあげたいということです。自分が幸せになるために神様にすがるのではなく、神様を喜ばせてあげようと思ったのです。
神様を愛するということで、文先生の人生が完全に変わったと言っておられます。神様の喜びなくしては生きる目的がないということです。神様を喜ばせたいという動機を貫き通しました。
神様は、人がどのように向き合ったときに愛されていると感じるのでしょうか?人との関わりの中ではわかりますね。では、どのようにしたら神様が愛されているように感じるのか。それは2点あります。
1、自分と自分の家庭の苦しみは痛いほどわかる。しかし、その苦しみは“人類の苦しみである”と、人類のことを先に考え、感じることです。神様は人類を優先に考えられます。
人類の苦痛をなくしていくことが、神様が愛されていると感じることなのです。地球上に苦しんでいる人がなくならない限り、神様の悲しみはなくなりません。餓死している人がどれほど多いでしょうか。
なぜ、日本は神様から豊かさを与えているのでしょうか?文先生は、世界の飢えている国々を生かすためだと言われます。神様と人間は親子関係であります。苦痛を感じている人がいれば神様も苦痛を感じているのです。
2、動物や自然界を神様の体のように大切にすることです。自分の生活が豊かになるために整理整頓をし、ペットをかわいがるのではなく、神様の体だと思って、整理整頓、ペットをかわいがるのです。自然破壊は、神様の体を壊しているのと同じです。
統一原理と書写の目的は、神様を愛して人生観を変えることです。文先生の心を私たちの心に移植することが書写です。
言葉には魂が込められています。書写では、眼からみ言を入れ込みます。そして耳からみ言を入れ込みます。神様を愛した方の魂を自分に入れ込むのが書写です。
文先生の言葉には3つの大きな力があります。
1、真の愛の生命力です。落ち込み、希望を失った状態を復活させてくれます。
2、真の愛の洗浄力です。傷つき、許せなくなってしまった心を洗い流してくれます。
3、真の愛の天運力です。何をやってもうまくいくようになります。
書写と原理学習を通して真の愛の力をもって、皆様が幸せになることを祈願して講話を終えます。」と語られました。
全体で書写の実践をした後、奉納された書写の前で浅川先生が祝祷されました。最後に夏休みお楽しみ抽選会を行い、楽しい雰囲気の中閉会しました。

 

【 神様を愛する 】

 神様を愛することにより、私の人生は完全に変わりました。自分よりも人類をもっと愛し、私と私の家族の問題より人類の苦痛を先に考える人になったのです。
また、神様がつくられたすべてのものを愛そうと努力しました。山にある木も愛し、水にいる魚も愛する心で見ました。世の中のすべてのものから神様のみ手を感じようと、触角を鋭敏にしました。
 そのように、心を神様の愛に合わせて変える一方、使命を果たそうと、私が備えるべき強健な体をつくるために努力しました。
いつ、いかなる時に神様が私を呼ばれても、即座に走っていく準備をしたのです。(自叙伝 p327-328)

 

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