【幸福を招く文鮮明先生自叙伝書写会】

天一国四年天暦5月6日(陽暦2016年6月10日(金))

八王子市学園都市センター(東急スクエア12階)イベントホールにて自叙伝書写会を開催しました。オープニングに書写のゆるキャラが今回のみ言を紹介しました。エンターテイメント、書写の証しがありました。
証しは、「自叙伝書写と統一原理を学んで、息子の引きこもりがなくなり、親子関係が改善した。」という奇跡的な内容でした。(詳細は、こちらを御覧ください。
今回のみ言「真なる愛は、与え、また与えても、なお与えたい心です」を全体で唱和し、佐野邦雄先生の講話になりました。
講話は、本日のテーマである「真なる愛は、与え、また与えても、なお与えたい心です」の真の愛を中心に分かりやすく語られました。
「本日のテーマであります、「真なる愛は、与え、また与えても、なお与えたい心」という言葉は、頭で考えて出てくる言葉ではなく、文鮮明先生が生涯をかけて実践してきた中で生まれた言葉であります。
その中で、本日は、“真の愛”について考えて生きたいと思います。愛は嫌いだと言う人はいないと思います。生活から愛という言葉をなくすことはできません。
しかし、愛は、はっきり見えることはできませんので、愛とは何か明確にわかりません。その愛はどこから生まれてくるのでしょうか。
私たちの人生にとって一番大切なものは何かと言われたとき、家族、健康、お金など様々な意見があるかと思います。一番大切なものは命ではないでしょうか。これを否定する人はいませんね。しかし、最近、度々人の命を粗末に扱うニュースを聞いた時にとても心が痛みます。
その中で、ある少年の捜索に多くの人が動きました。一人の命を探すために多くの人が動きます。それほど一人の命は大切なものです。
2015年には、4千名以上の方が交通事故でなくなっています。自殺者数も2万名を越えます。先進国でありながらも、多くの命が失われている現状があります。
命の問題を考えて見る時に、命に関わる原因的なものがあります。それが愛です。命の根底にあるのは愛です。文先生は、命が先か、愛が先かというと愛が先だといわれます。父母の愛があって子供が生まれるからです。
命を育むのに愛が不可欠です。無条件の親の愛がなければ子供は育つことができません。家庭、学校、職場など、すべての環境においても愛を抜きに考えることはできません。
死ぬと言うのがなぜショックかというと愛が切れるからです。愛は特別な特徴があります。肉体は、寿命がくれば亡くなります、お金も使えばなくなりますし、仕事もずっと続けられるわけではありません。すべて有限です。しかし愛は、永遠普遍であり、消えてなくなることはありません。
愛は死んだとしても残ります。肉体は変化しますが、愛はなくならないのです。愛は全人類に対して普遍的なものであります。また、人と人を結びつける力でもあります。
その愛はどこから来るのでしょうか。愛の根源はどこなのでしょうか。文先生は、この愛の根源を探すために、祈り求めるだけではなく、実践されていきました。どんなに難しい状況、反対される状況にあろうが、世界を愛してきた方です。
その中で、「愛は、与え、また与えても、なお与えたい心」というように、愛は愛されたい、受けたいという自分に向いたものではなく、まず相手を考え、為に生きる心が愛だということをつかまれました。その愛の根源が何かというと、全てを生み出してくださった親なる神であることを知ったのです。天の父母様です。
子供は親がいなければ生まれないように、この宇宙も生みの親がいるのです。それが神様です。ですから愛の根源が神様なのです。その愛は、与えても見返りを求めない、与えて忘れる愛です。
世界には様々な宗教があります。キリスト教は、神は愛なりという教えです。愛は永遠普遍でありますが、それはその根源であられる神様が永遠普遍であられるからです。
儒教では、天は仁なりと孔子様が言われましたが、それは人と人とを区別しないという意味で、神は愛なりと同じことです。
仏教では、慈悲とお釈迦様が言われました。これは人と人とを区別しないということで天は仁なりとも相通じる言葉です。
愛を自分の所有物として扱った場合は、問題が生じてきます。利己愛は、私さえ良ければよいという心です。それは与える愛の反対なので奪う愛です。
ですから愛の扱い方を間違えて、家庭問題や自殺など人間関係の中において様々な問題が現象として現れているのです。
愛は永遠で普遍です。家庭におきましては、夫婦がお互い愛を与えてもなお与えたい心を持っていれば、関係が崩れることはないのです。
霊界はどのような世界でしょうか。愛を投入しただけ、相手が変わっていきます。神様を知って生活していくことがあらゆる問題の解決になります。
自分の都合の良い時だけ神様にお願いをするのではなく、神様を日々意識しながら生活していけば、相手が神様のように見えてきます。
なぜ真の愛と言うのか、それは偽りの愛があるからです。偽りの愛は、与えてもらう愛、また奪う愛、惜しみなく奪う愛になってしまいます。
いかに本日のテーマである「真なる愛は、与え、また与えても、なお与えたい心です」を書写しながら、真の愛を実践できる人物になるかということが大切です。」と語られました。
全体で書写の実践をした後、しあわせってなんだろうを讃美し、最後に佐野先生が祝祷され閉会しました。

 

【 真なる愛は、与え、また与えても、なお与えたい心です 】

 真なる愛は、与え、また与えても、なお与えたい心です。真なる愛は、愛を与えたということさえも忘れ、さらにまた与える愛です。
私は生涯、そのような愛に酔って生きてきました。愛以外には、他のどのようなものも望んだこともなく、貧しい隣人たちと愛を分かち合うことにすべてを捧げてきました。
愛の道が難しくて涙があふれ、膝をへし折られても、人類に向かう愛に捧げたその心は幸福でした。今も私の中には、いまだすべて与えきれない愛だけが満ちています。(自叙伝5~6ページ)
愛の本質とは何でしょうか。愛の本質とは、人に何かをしてもらおうとする思いを捨てて、人のために、全体のために先に与えて、為に生きることです。
与えても、与えたという事実そのものを忘れてしまい、絶えず与えるのが愛です。それは、喜んで与える愛です。母親が子供を胸に抱いてお乳を与えるときに感じる喜びの心情がまさにそれです。(自叙伝220ページ)

 

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