【ユダヤ・キリスト教講座】

天一国二年天暦4月17日(陽暦2014年5月19日)

石丸先生をお迎えして、「ユダヤ・キリスト教」について講義をして頂きました。
宣教(伝道)・宣教師
伝道Mission ①一般に宗教の教えを広め、未知未信の人に信仰の道を示すこと。 キリストの福音を信じて洗礼を受ける
宣教師 宣教:派遣(イエス様によって派遣) 宣教のエネルギーはどこから湧いてくるのか? いつから始まったのか? イエス様の弟子から始まった? イエス様自体から宣教を始められた?
「神様の天宙安息圏と絶対性」のみ言 宗教の和合統一と再臨復活
一、宗教の和合統一の必要性 宗教文化圏を統一するまでは、外的世界を統一できません。それで共産党は、民族決裂戦争をさせずに宗教戦争をさせようとします。そして人種戦争を展開しようとするのです。宗教を統一しようとするには神様の心情世界に深い谷間に入っていき、神様の愛を主管できる息子にならなければ統一できません。 そして教主たちを屈服させ得る心情基準をたてなければならず、信者たちが自分たちの信仰を悔い改めさせ得る条件を提示しなければなりません。そうでなければ宗教の統一は不可能です。宗教統一は再臨復活によってなされるのです。
マタイ・マルコ・ルカは共観福音書と言われている。
宣教は十二使徒の選定から イエス→ペテロ・ゼベダイの子ヤコブ・ヨハネ→三弟子・・十二弟子。しかし弟子の前にイエス様から宣教が始まった。 マタイによる福音書(4・17。4・23・・・など) イエス様は大きな範囲では無くごく小さな範囲で伝道されていた。ガリラヤ湖周辺でした。 イスラエル民族に悔い改めよ天国は近づいた。
十二使徒の宣教活動 ①ことば「天国は近づい悔い改めよ」悔い改めの福音「ユダヤ民族に対して」 ②おこない「悪霊の追い出し、病人を癒す」 ③宣教地「イスラエルの村々、いたるところ」
復活後の宣教命令 エルサレム・ユダヤ・サマリヤ 全ての国民を弟子にしなさい。全世界に出ていって・・(全てを神の子にしなさい)
①ことば「イエス・キリスト」復活されたイエス ②おこない「バプテマス ③宣教地「エルサレム・ユダヤ・サマリヤ」
聖霊降臨の出来事:キリスト教の原点
使徒条件 天地の創造主、全能の父である神を信じます。 父のひとり子。わたしたちの主イエス・キリストを信じます。・・・・
十二使徒の体験とその継承 悔い改め・ゆるし・重生 お父様の観点でイエス様をもっと知っていく。メシヤとして振舞えなかった時期があった事が大切。成熟した信仰の観点でみていく。
予言者の使命「ユダヤ教に宣教活動はあったか?」 2002年12月に十字架を下ろせ!とお父様。もっと早く言われていましたが、誰も十字架を下ろせずにいたら、ラサール高校を買い取り、統一神学校にして真ん中にチャペルがあり、屋根に十字架がかかっていたが雷が直撃して十字架が落ちて、全米で十字架を下ろす教会が出てきた。牧師で全権がある立場ですが、十字架を下ろす行為は非常に難しかった。また、下ろすだけでは無くて、どう理解し悔い改めていくか、イエス様の事を誰よりもしっていたクリスチャンの立場でいたが、実はイエス様の事を知らなかったという悔い改めができるかが重要であった。また下ろすだけでは無くてイエス様を王として戴冠していく。2000年まえキリスト教という伝統は無かった。その中でユダヤ教がキリスト教を受け入れてい く事は簡単ではない。
ユダヤの観点でイエス様を理解しキリスト教の観点でイエス様に対して悔い改めていくことができるのか。 ユダヤの方々は聖書を読みながら先祖の歴史として記憶しています。 カナンの古い文化をすべて滅ぼして新しい伝統を立てなければいけなかった。十二部族連合を作った。 士師→サムエル→王、預言者。王は一旦は神殿は作ったが、偶像崇拝を辞めず。 国を追われていったとき神に対して2通りあった。その当時もっとも大切であった神様のみ言アークを失い、国を失った。 ①私たちを守る神は弱かった。 ②私たちがなすべき事をなしてこなかった。 聖書を読むところは聖所だ会堂の設置、トーラー研究、改宗(割礼と洗礼)→そうしてメシヤ降臨時代。 落ち穂拾い レビ記19-9-10 レビ23・22 全のての落ち穂を拾ってはならない、貧しいものの為にのこしておかなければならない。 イエス様は十字架で亡くなり肉体を持って全地域に行くことはできなかったので弟子たちが身代わりに成って宣教に出発。
第二次世界的カナン復帰路程(クリスチャン達は第二次があった事は知らない)お父様はイエス様は可哀想な方だよ 第二次世界的カナン復帰路程の信仰基台は三大試練を洗礼ヨハネの立場でなさって行かざる得なかったし、メシヤとしても名乗ってもいけなかった。メシヤとしての立つ立場が無かった。イエス様は常にユダヤ人が殺そうとする試練の中にあった。洗礼ヨハネの責任でしたが、それに変わって立てる弟子もいなかった。イエス様は死を恐れず私たちの為に死をも恐れず十字架の道に行く為にこられた。故に使徒からも死をも恐れず命を喜んで捧げる殉教に行かざる得なくなってしまった所がある。イエス様は心から望んで十字架の道に行ったのではない、使徒たちの姿を見た十字架で亡くなられたイエス様の心情は?神様は?
真の御父母様が到達した世界とは? 修道女で50年の女性に総序を語った時、創造原理を聞いて5歳くらいの女の子の様に喜んでいた。しかしメシヤ論でつまずいた。受け入れられない。50年もの修道女で信仰一筋で来た方だが、しかしその姿は5歳の女の子がうちのお父さんは、凄いんだよとただ誇りたい幼い信仰だと教えられた。そのような幼い幼子の心情と幼い信仰だと解った。そのような親子関係。気持ちは分かるが、私たちがお父様から聞いたイエス様は実際は違う。
伝道(宣教)の原動力 ①救済史のダイナイズムをつかむ ②イスラエルとしての自覚=残り者「私は選民だ」自覚が必要(我々はもはや雑教では無い、イスラエル選民の伝統を受け継ぐ者であるという自覚)キリスト教はある意味雑教なのです。一端を我々は担っているのです。 ③終末論的理=完成の時が来た。ある意味での切迫感。 ④イエスと聖霊による派遣=Mission
天聖経 信仰生活とは:人がどうあろうと、周りの人から教えられない部分がる。召命の人生。先生が一つの峠を越えるのがどれほど難しかった知れません。