天一国日曜礼拝のみ言(陽暦2022年1月23日)
【 礼拝のみ言 】
天一国九年天暦12月21日(陽暦2022年1月23日)
説教タイトル:「 恩讐のために祈る 自分の無い生活を実践する 」
説教者:鄭 東洙 教区長
おはようございます。浅川先生のみ言を映像で拝見するとどうですか。良かったんですか。コロナ感染が拡大している中でもできるだけオンライン上で参加して欲しいというメールを流しましたけれども、皆様は勇気を持って来られましたね。ありがとうございます。今日、一緒にオンライン上で参加している皆様も同じ心情で、心はここで一緒に参加するという心情で共に今日のメッセージを読み出して、今日、お母様の自叙伝のメッセージの一部の内容を中心に考えてみる時間を持って行けたらいいかなと思います。先程、浅川先生より、許せない思い、人に対して許せない思いは、自分があるからであると語られたんですね。
講演者:浅川 勇男 先生(映像メッセージ)
八王子教会の皆様、新年あけましておめでとうございます。浅川勇男です。今年もよろしくお願いいたします。新しい年を迎えますと年賀状やメールでもって今年がとっても幸せな年になりますようにあなたのご家庭のご多幸を祈ります。多くの幸せ、多くの福運が来ますようにというようにとメールで連絡をしたり、年賀状で書いたりいたします。誰に対して幸せを祈り願うのでしょうか。それは親しい親族の方々や、とてもお世話になった方々、友人、知人に対してであります。ところが、なかなかご多幸を祈りますと言えない人たちがいます。幸せな年になりますようにと言えない方々がいます。それは恨んでいる人、憎んでいる人、許せない人、顔も見るのも嫌な人、率直に言えば、幸せになってほしくない人、非常に強く恨んでいるので、むしろ不幸になって欲しい人。こういう方々に対しては口が裂けても極端に言えば、ご多幸を祈りますとは言えないわけであります。
礼拝のみ言全文は会員ページよりご覧ください。
<御言葉の訓読>
怨讐と言える相手を許し、逃がすというのは、簡単にできることではありません。既に心からすべてを許し、怨讐の顔を見ながら、そこに神様の顔を見いだそうという努力をしていない限り、実行できないことです。怨讐を怨讐として考えず、むしろその人のために祈り、許すこと。これは、「自分がない生活」をしていてこそ、可能なことなのです。悪とは、自分が利益を得ることを目的にして与えることであり、善とは、与えて忘れてしまうことです。真の愛は、与えて、それを忘れてしまうとき、花咲きます。愛は与えれば与えるほど、減るのではなく、永遠に枯れることなく湧き続ける泉の水のように、さらに豊かになっていきます。愛の道では、本当に良いものを与えたとしても、不足さを感じるものです。良いものを与えても、それを誇りに思うのではなく、もっと良いものをあげることができなかったといって申し訳なさを感じるのが、真の愛です。
人類の涙をぬぐう平和の母p300
| <教会行事案内> |
| ○天一国日曜礼拝 |
| 日時:1月30日(日)開会:10:00 |
| 場所:大聖殿、インターネット中継 |

