【礼拝のみ言】

天一国二年天暦10月9日(陽暦2014年11月30日)

説教の前に週刊ブリーフィングを視聴しました。
説教タイトル:「 神氏族的メシヤのとるべき態度 」
説教者:山本文登教区長
人間は、堕落した人類始祖の子孫として生まれたので、堕落の峠を越えなければ神様を訪ねることができる道はなく、天の国に入ることさえできません。また、堕落性をもった存在に落ちた人間としては、堕落した峠を再び越える道を模索したとしても、自分では不可能です。堕落した峠を再び越えるには、必ず自分の力ではない、第三者の力に頼らざるを得ません。このような境遇に置かれているのが、今日この地上に生きている私たちなのですが、有り難くも、天は私たちを放置されず、堕落の峠を越えさせるために、今まで歴史を通して試練しながら、その責任を担ってきているのです。
真の信仰の道というとき、真とは一つしかありません。信仰の対象とは誰でしょうか。絶対的な神様です。信仰生活とは、神様のみ旨に合うように、神様が願う目的地を訪ねていくためのものです。「私」が願うものではないというのです。信仰する人たちが願うものではありません。今まで信仰界の混乱が世界的に広がったのは、信仰の目的が自分を中心としてするのではなく、神様のみ旨を成就するためのものであることが分かっていないからです。

「新天聖経 第8篇 信仰生活と修練 第一章」より

【説 教】

今日は、神氏族的メシヤのとるべき態度というタイトルです。いつも説教をしていますが、私自身に語っているつもりでもいます。「言うは易く行うは難し」という言葉がありますが、み言を聞くだけではなく、しっかり行動していきましょう。
私たちは、平和な世界を創らなければいけません。積極的平和主義、消極的平和主義という言葉があります。中国は覇権主義ですね。世界の平和はバランスで守られています。バランスが崩れてしまうと戦争が起きますね。国つくりと平和をつくっていかなければいけません。
神氏族的メシヤのとるべき態度ですが、まず初めに、「謙遜な態度をとりましょう。」という事です。幸せな、家庭、教会、国、世界を創り上げていかなけばいけません。その為に、伝道をしなければなりませんね。伝道が進んでいるところは、どういうところでしょうか。どんな人でも愛していくところです。一人を動員するのにどんなに大変でしょうか。
イエス様がマグラダノ・マリアを許し、愛しました。イエス様の十二弟子を見て下さい。漁師、取税人、儲けの少ない医者でありました。真の御父母様も牢獄で囚人を伝道されました。私たちは万民を救わなければお父様を解放できません。神様の子だと思うばかりに、傲慢になってはいけませんね。
パウロは、自分の事を「罪人の頭」だと言っています。このように、イエス様を迫害してしまった事を悔い改めて伝道していきました。常に謙遜という姿勢でした。私たちもそのような姿勢で歩んでいきましょう。歩んで行く中で、迫害もありますが、信仰の道は、たたかれ、踏まれてこそ本物になって行きます。謙遜な姿勢になって行くための恵みと思いましょう。
真のお父様はイエス様の十字架を7回越えられたと言われていますね。拷問する人を愛していきました。それが信仰の道でした。真のお父様は、「拷問の中で眠らせない拷問が一番つらかった」と言います。それを乗り越えるために目を開けて寝る訓練をしたそうです。
皆さん、礼拝に来られるのも葛藤があるかと思いますが、その中で謙遜さを培っているのです。献金を通して堕落性を脱ぐ事が出来、サタンとの道を断つことが出来ます。傲慢性を打ち砕いて本当の神様の子供となっていくために礼拝があります。信仰は、自分の願いを果たしていくことではなく、神様の願いを果たしていくことです。ご利益信仰は、本当の信仰ではありません。
神様は家庭の課題など、すべてご存知ですが、平和を果たすためには一人ひとりの願いを聞いていては実現できないのです。神様の為の国を創らなければいけません。神様の願いを果たしていきましょう。神氏族的メシヤのとるべき態度の第2は、「責任感、使命感」です。硬い意志をもって歩んでいかなければいけません。
私たち一人ひとりに課題があります。課題、原因を究明して克服していける私たちとなりましょう。スポーツ選手も最初から素晴らしい演技やプレーが出来るわけではないですね。信仰生活も同じです。課題がそれぞれありますが、その課題をそのままにしておかないようにしましょう。
真のお父様も水澤里の修練所で電球がいくつか切れているのを指摘されました。大きな事をなさられますが、細かい事も気にされるのです。真の御父母様に似ていくものとなって、課題を克服し、目標を成し遂げるまでやる私たちとなっていきましょう。神氏族的メシヤのとるべき態度として最後に、「開拓精神」「チャレンジ精神」「ハングリー精神」を忘れてはいけません。
真のお母様が、「皆さん、過去の栄光に慕ってはいけません。」と言われました。そこには年老いた食口もいましたが、責任を果たすまで頑張るように仰っていました。中途半端という事はありません。責任を果たすまで、何もないところからでも必ずやるというチャレンジ精神で行いましょう。
絶えず、「今」を「未来」を見つめていきながら、今年とまた、2015年基元節に向けて頑張りましょう。