【文鮮明先生自叙伝書写会】

天一国六年天暦3月25日(陽暦2018年5月10日(木))

八王子市生涯学習センター(クリエイトホール5階)にて文鮮明先生自叙伝書写会を開催しました。エンターテイメント、書写の証がありました。今回の書写の証は、群馬の伊勢崎家庭教会の高校生が「書写の証」を語られました。
今月のみ言「人々に幸福をもたらす者となろう」を全体で唱和し、浅川先生の講話になりました。
「どうしたら幸せになれるのかということについて、幸福の原理についてお話させて頂きます。今日は、そのように生きたお医者さんの話をさせていただきます。その方は58歳で幸福の原理を悟られた方です。そして105歳で亡くなられました。悟られた内容は「自分だけが幸せになりたいと思うと幸せが逃げていきます」ということです。努力と苦労の仕方があります。「私が」と言った瞬間、幸せが遠のいていきます。
要求してはいけないのです。「どうしてわかってくれないのか」「どうして理解してくれないのか」と考えると幸せになれません。相手の幸せのために生きることでかえって幸せが近づいてきます。これを日野原重明さんがこれを58歳で悟ったようです。この方はキリスト教のメソジスト派で洗礼を受けています。父は宣教師・牧師さんで広島で女学院を立て銅像が立っています。
日野原さんの愛する母親が死にそうになった時、医者が救ってくれたことで、医者を決意し京都帝国大学の医学部にいきました。とにかく「多くの人を救いたい」と思うようになりました。成人病と呼ばれている病気は生活からくるということで「生活習慣病」に改め、健康診断だけでは人間の病気はわからないとして「人間ドック」を日本ではじめて開設するなどの功績があります。
正田家(皇室の美智子様)のかかりつけのお医者様です。なぜそのように為に生き続けることがきるのか。日野原さんは、朝起きたときに疲れを感じたことがないとのことです。
いつも燃えていたということです。人のために生きることを考えていくことによってそのようになるそうです。そのきっかけは、出会いです。言葉との出会い、人との出会い、環境との出会いです。そのきっかけが58歳であったようです。1970年3月31日の飛行機の中でそのきっかけがありました。
羽田空港から福岡に向かっている時です。日本航空「よど号」という名前がついています。9人の日本人が日本刀を抜いて、「この飛行機は我々がハイジャックした、お前たちの命は俺たちが握っている」と叫びました。よど号ハイジャック事件の飛行機の中に乗っていました。ハイジャックしたのは、共産主義同盟の赤軍派です。これから北朝鮮に向かうというのです。
これからどうなるのかと思いました。いったん福岡空港に向かい燃料を補給し、平壌に向かうと思いきや金浦空港に向かいました。首謀者は着いたと思ったが、シェルという文字が見えます。フォードという車が走っているので、平壌ではないことを察知し飛行機に立てこもりました。この100人の人質の中に日野原さんは入っていたというのです。
機内で犯人グループから人質に本が提供されたが、応じたのは日野原さんだけで「金日生の生涯」「共産主義の理論」「カラマーゾフの兄弟」などの本を提示された時に「カラマーゾフの兄弟」を手にしました。
「カラマーゾフの兄弟」の一説に「一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一粒のままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。(ヨハネ12:24~25)」という聖句が書かれていました。それは、「一粒の麦が地に落ちて自分の命に執着していればそれだけであるが、為に生きれば多くの実が結ぶ」という意味です。この言葉に出会いました。
このような状況の中で「何か意味がある」と考え、この出来事の中で自分は死んだんだ、これからの人生は神様から頂いたものであるというということを悟ったということです。使命とは“命を使う”です。誰かのために命を使おうと決心したというのです。神様から生かされた命は、私以外の誰かのために使おうと決心しました。
彼は、健康ではありませんでしたので長く生きられるとは思っていませんでした。ところが105歳までいきたのです。生かされたのです。この事は文鮮明先生の生き方の一端を示しています。
幸福とは目的ではなく結果であります。人を幸せにした結果として与えられるものであります。文鮮明先生は、イエス様と霊的に出会い「苦しんでいる人類を救ってあげなさい」と言われました。
「あなたの命を人のために使いなさい」と言われました。この方が、自分のことだけにこだわり、韓国にこだわっていれば、皆さんはここにいないでしょう。自分の意志でここに来ているのではなく、文先生が皆さんを幸せにしたいという思いがあり、その思いが言葉に込められているので、その言葉によって生かされているのです。
本日の証においても、奇跡的なことが起こるのは、世界の幸せ、家族の幸せを書き、それから自分の願いを書くことによって神様が感動したのです。私たちが、神様に似るものとなっていくことが大切です。」と語られました
全体で書写の実践をした後、「愛の架け橋」を讃美し、最後に浅川先生が祝祷され閉会しました。

 

【 人々に幸福をもたらす者となろう 】

 私は物心がついてくると「将来何になるのか」という問題について熱心に考え始めました。自然を観察し研究することが好きだったので、科学者になろうかと考えましたが、日本の収奪に苦しめられ、日に3度の食事さえもままならない人たちの惨めな有様を目にして、考えを変えました。科学者になってノーベル賞を取ったとしても、ぼろを身にまとい、飢えた人たちの涙をぬぐいさることはできないと思ったからです。

 私は人々の流れる涙をぬぐい、心の底に積もった悲しみを吹き払う人になりたかったのです。森の中に横になって鳥たちの歌声を聞くと、「あのさえずりみたいに、誰もが仲良く暮らせる世の中を築こう。一人一人の顔をかぐわしい花のように素晴らしくしてあげたい」という思いが自然と湧き上がってきました。一体どんな人になればそうできるのか、それはまだよくわかりませんでしたが、人々に幸福をもたらす者になろうという心だけは固まっていきました。(自叙伝58ページ)

  

 

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