【文鮮明先生自叙伝書写会】

天一国五年天暦1月19日(陽暦2017年2月15日(水))

山善ビル4階にて文鮮明先生自叙伝書写会を開催しました。オープニングに書写のゆるキャラが今回のみ言を紹介しました。エンターテイメント、書写の証しがありました。
証しは、「心が神様の愛に満たされて、父母の懐の中に強く抱きしめられているような経験から家族関係に変化」という感動的な内容でした。(詳細は、書写の証しを御覧ください。)
今月のみ言「愛の刀で苦悩を断ち切る」を全体で唱和し、佐野邦雄先生の講話になりました。
講話は、本日のテーマである「愛の刀で苦悩を断ち切る」を中心に分かりやすく語られました。
「本日のテーマは哲学的で難しい内容かなと思いますが、その背景をお話してみます。
統一原理復興会の「救世主現る」の中でもお話ししましたが、日帝40年時代において、朝鮮民族が悲しみにありました。
文先生の家系は儒教を信仰していましたが、10歳のときに家庭に大きな問題が起きたことをきっかけに、キリスト教に改宗して救いを求めるということが自叙伝に書かれています。その中でも自分と同じ中学生が自殺するという記事をみて3日間泣き続けられました。
その様な出来ことがなぜ起こるのか、また悲惨な祖国に対して猫頭山で祈祷していました。その明け方にイエス・キリストが現れて、啓示を受けました。そして、「苦悩にあげく人類の苦悩を救ってほしい」と言われました。
その使命は重く、一度断ったが、重ねてイエス様から託されました。その中で出てきた歌が「栄光の王冠」です。愛と現実の葛藤の詩です。その使命を頂いたけどできるのかどうかという内容です。
自分の気持ちを整理していく中で、神様のみ言葉のみに相対するという気持ちに切り替えていきます。この命を神様に捧げたい、人類を救うために捧げるという決意をした。
それから、青年時代に原理を解明されました。統一原理は生涯の記録だと言われます。日々の生活の歩みを書いたものだと言われます。私の中に統一原理があると言われます。
そして人類救済の道に歩んで行かれます。決意したから自信満々に歩んできたわけではありません。「私でいいのだろうか」という思いの中で生きてこられました。自問自答してこられました。90歳で自叙伝を書かれるまでそういう思いでありました。
どうして神が私を選んだのだろうかという中で
神様を求める愛が誰よりも強かった。
神様はどんな苦労、課題、試練であっても“愛の刀で苦悩を断ち切って前進できる人”を選んだのだと思ったそうです。
愚直に神様の愛、人類救済の道を歩んでこられたのが文先生です。イエス様と出会われて、自身満々に出発したのではありません。
愛とは何でしょうか?愛の海の中で生活をしているとも言いますが、親の愛、友愛、家族愛、国家愛、人類愛などがあります。
しかし、一方で愛を解きながら、偽りの愛もあります。不倫の愛です。夫が妻を、親が子供を殺してしまう。家族内の殺人があったりします。愛というのは素晴らしい反面、そうでない事も起こっています。可愛さ余って憎さ100倍ともいいます。
人との関わりの中でどういう生き方をしているのかを考えてみなければなりません。愛は、ある意味では単純でありますが、複雑でもあります。
愛は、神様を中心としてより主体と対象が授け受ける関係の中で育まれます。愛は二人の関係だけだとうまくいかない場合があります。ですからその中心に“神様の目的“という共通の目標をおかなければいけないということです。
いかに私たちが素晴らしい家庭を築くか、神様の願いを実現していくかという目標を中心として関係をもてばうまくいきます。
地上生活において夫婦が愛で一つになっていれば、霊界でも一つになっている状態です。
何で私が選ばれたのでしょうか?といえば、“どんな苦悩をも愛の刀で断ち切っていける”と思ったからです。
また、親の愛といっても、神様の愛を中心とした愛とそうでない愛とは違います。神様の愛というのは見えないので分かり辛いですが、私たちを造ってくださった方いますし、愛を投入してくださった方が必ずいます。本心には為に生きる精神があります。
箴言に神様を知ることはすべてを知ることであります。
イエス様は、
神様を愛しなさい。
自分を愛するように隣人を愛しなさい。
と言われました。
神様を愛するのと隣人を愛するということは同じであるということです。為に生きることで発展していきます。愛は全体のことを考える。人のことを考えることです。
統一は調和、和合していくことです。調和し、和合するということは、人の悩み苦しみを共有していくことです。
そのように、神様の愛を中心とした関係性をもっていく生活をしていきましょう。と語られました。
全体で書写の実践をした後、しあわせってなんだろうを讃美し、最後に佐野先生が祝祷され閉会しました。

 

【 愛の刀で苦悩を断ち切る 】

 私に取り柄があったとすれば、神を切に求める心、神に向かう切ない愛がそれだったと言えます。いつ、いかなる場所でも最も大切なものは愛です。神は、愛の心を持って生き、苦難にぶつかっても愛の刀で苦悩を断ち切れる人を求めて、私を呼ばれたのです。私は何も自慢できるものがない田舎の少年でした。この年になっても、私はただひたすら神の愛だけに命を捧げて生きる愚直な男です。(自叙伝 67ページ)
 真の愛とは、自分の命までも捨てることができるものです。そこにはいかなる計算もありません。母鳥が命を捨ててまで雛を守ろうとするその心は、真の愛そのものです。父母はいくらつらくても愛の道を行きます。愛の前に自分の命を投げ出していくのが父母の心であり、真の愛です。(自叙伝 219ページ)

  

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