私は、統一原理の中にある「ために生きる人生」に心から感動しました。そして、感謝の生活ができるようになりました。そのきっかけとなった夫の母の話をさせていただきます。私の家族は、できるだけ家族がそろって夕食を食べるようにしています。それは、一日一回は、家族でコミュニケーションをとるためです。
しかし、数年前までは楽しい時間ではありませんでした。なぜなら、アルコール依存症だった夫の母が夫にトラウマになってしまったからです。当時、お酒を飲んでは誰かまわずに喧嘩してしまう母のまわりでは争いごとが絶えませんでした。
姉や弟はそれぞれに家族があったので寄り付かなくなりました。それでも母は病院に行きたがらなかったので、夫の父であるお舅さんは、強引に連れて行けなかったのです。その様子を見ていた夫は、治って欲しい一心で罵声を浴びせながら暴れる母を力尽くで車に乗せようとしましたが蹴り合いになり、アザだらけになっただけで、病院に行くことはありませんでした。
酒臭い家の中、乳呑み児を育てるのはとても苦痛で、気が休まらない私たちは、心身ともに疲れ果てていきました。ですから、母が快復して何年過ぎても母と食卓を囲むだけで、夫の表情は険しくなりました。パーキンソン病を患った母が不自由な体を愚痴ると、夫は「自分だけが大変だと思うなよ!」と怒鳴りました。
そして母が、「お前になんか言ってないよ。どれだけ、お前達に我慢してきていると思っているんだ。」と言い返せば、夫は「それは、こっちがいうセリフだろ!自分は何やってきたんだよ!」と言い、母は「そんなに、私が気に入らないなら殺せ!」と子供たちの前で怒鳴りあう有様でした。
緊張を隠せないまま、黙々と夕食を食べた子供たちは、そそくさと席を立っていきました。夫と母の不仲で姉と弟の家庭と疎遠な関係になり、近所付き合いも挨拶だけで済ませるようになりました。次男はいじめにあっていることを何年も言えずに苦しんでいました。
私は、眠れなくなり、疲れ果てて笑えなくなっていました。そんな私を心配して従姉が統一原理を紹介してくれた。最初は全く理解できませんでしたが、「幸せになりたい!」という強い想いで統一原理の講義を受け、書写を書き続けました。『ために生きる人生』何の見返りも期待しないで、人の幸せのために生きなさい!
人に愛を与え続ければ、人は喜び笑顔になる。その笑顔に会えた時、私は幸せになる。この価値観に心から感動しました。そして気づいたのです!私は人の目を気にして人の家庭と比べていました。
私は家庭を大切にしていませんでした。夫は全責任を、子供たちには理想を押し付けていたのです。私が心から嬉しいと喜べることは、夫と心が通じ合い、家族と笑顔になることです。完全に私の中で世界が変わりました。私が愛しているのは夫です。大切なのは家庭です。
それからは、学んだ統一原理を家に持ち帰り、書写をすることで心を整えてから、母の愚痴を最後まで何度も聞きました。母の気持ちを知り、夫に伝えました。すると、夫の気持ちを知ったので、母に伝えました。心配する子供たちには、夫と母の気持ちを伝えました。聞いては伝え、学んでは伝えていったのです。
ある夕食での母の愚痴に、夫が「マイナスではなく、プラスに考えたら楽しくなるよ。」と言うと、子供たちが続いて「今のは、おばあちゃんが間違っていると思うよ!」「おばあちゃんだって、わかっているよね。」「まぁまぁ、もういいんじゃない。」と言いました。
すると母は、「もう、おばあちゃんはね、わかったんだから!本当にごめんね。これからは、みんなと仲良くするんだから!ご飯を食べて話すんだから!みんなよろしくね。」と泣いているのです。まるで、我が家に暖かい春が来たようでした。
ところが、5ヶ月前、私は乳がんの宣告を受けました。愕然としましたが、統一原理を学んでいましたので、感謝の気持ちで乗り越えられました。姉たちに私の病気を伝えると、「どうして、そんなに爽やかなの?」「本当に病気なの?」と疑われるほど、私は元気だったのです。
現在、入院してリハビリをしている母が、先日は父の七回忌法要に出席しました。私の家庭、姉の家庭、弟の家庭が集まり、思い出話にみんな笑い転げ、楽しい時間を過ごしました。
そして、その時はじめて私の病気を母に話すと、私が介護できなくなったと知り、とても不安になっていました。ところが、疎遠だった姉と弟が母の介護を全面的に協力してくれるようになったのです。そして母は、「ありがとう!」と言ってくれました。夫は、私に「お母さんがいなかったら、全てがまわらなくなるから無理しないでほしい」と言ってくれたのです。
まだまだ、夫の心の中に母へのわだかまりが残っています。これからも統一原理を学び、書写を続けて、夫と一緒に笑顔になりたいと思います。私にとって統一原理は人生の教本であり、最高に価値ある内容です。