私は、幼い時から世の中の矛盾を感じでいたので、原理を学び始めてからは、驚きと感動の連続でした、そして、矛盾の原因を克服する方法が分かったときは救われる思いでした。
小学生の頃から悪があるのが許せなくて、人の悪い部分を見るのが苦痛でした。学校で集団生活をする中で、特定の人とだけ仲良くするといった友人関係や、異質なものを排除する風潮があることを感じ、これが日本社会の縮図かと思うと暗い気持ちになってしまいました。
皆が仲良くできないものかと思っていましたが、あるとき自分の中にも人を悪く思いたくないのに、思ってしまう心が確実に存在することに気づきました。自分は、偽善者なのではないかと、自分自身の心の矛盾に悩むようになりました。こんな話をしても重いだろうという気持ちがわいてきて、相談せず、一人で思いを巡らすクセがいつの間にかついていました。
 矛盾を抱えた自分のことが嫌で、何とかして自分を変えていきたいと思っていました。そのため、英語をはじめ、色々なことに挑戦しました。今思うと、自分に何ができるのだろうともがいていたのだと思います。
原理を学び、心が主体で体が対象だとわかった今は、ただやみくもに行動するのではなく、何のためにやるのかという目的を大切にして心から一生懸命になれたら良いと感じています。
教師という職業も何のためにやるのかということをよく考えるようになりました。真のお父様の自叙伝の「青年よ、志を立てれば、人生が変わる!」という箇所を読んだときに、何のために教師になったのかを考え直さなければならないと思いました。大学にいくために勉強するのではなく、大学に入って何をするのかを考えた上で勉強することが重要だという内容でした。
私は、ただ英語が好きでずっと勉強したくて大学に行かせてもらいました。そして、わかりやすい英語の授業をしたくて英語の教員になりました、しかし、実際、現場で働いてみると、生徒に英語を教える以前に、何のために勉強するのか!人としてどうあるべきかを教えていかなければならないと思いました。
英語の勉強を通して、生徒を育てることだとわかりました。大学時代に生徒中心ではなく、自分の動機で教師になろうとしていたことを反省しました。
今は、教師を辞めて献身さえて頂きましたが、自分中心ではなく、相手の為に生きるという考え方は、どのような環境においても大切なことだと実感しています。