私は、生まれた時から母方が信仰していたある宗教団体に入っていました。母は三人姉妹で三人とも熱心に信仰していました。特に、祖母は草創期の時から、その信仰をしており立派な信仰者でした。
当然、私も熱心にその信仰を信じていましたが、父親は理論的で目に見えない世界は信ず、神様などなおさら信じないため、宗教に対しては黙認でした。
そのような環境の中、母親は家庭のことよりも信仰を優先することがよくありました。私が幼児の頃、仕事と宗教の会合で幼稚園に迎えにくるのが遅くなり、最後まで残ることも多く、そのような時は結局祖母が迎えに来てくれていました。
夕食は、あらかじめ用意された食事を温めて、兄弟だけで食べる時が多くありました。母が家にいる時も、一番話せる時間は料理を手伝っている時ぐらいで、その他は、ほとんど宗教の件で電話をしている時間が多く、家族との会話はほとんどありませんでした。時には、父親が怒って電話機を壊してしまった事もありました。
宗教を熱心にやっている母親に対して、父親は全く関与しませんでした。時々、夫婦で宗教のことで喧嘩している姿をみると、「宗教は幸せのためにやっているのに、なぜ私の家族は不幸なのだろうか。」と子供ながらに思っていました。
小学校3年生の時、父方の祖母が過労死で亡くなり、私が原因で亡くなったんだと思い、三日間おばあちゃんのことで泣き続けていた時、三日目に枕もとでおばあちゃんの声が聞こえ、「大丈夫だよ。」という暖かい声が聞こえました。
その後、母親に「霊界はあるよ。死んでも生きるんだよ。」と話したら、母親は「死んだら一つの所に霊魂が集まってそれで終わりなのよ。」と言われ、それは違うとずっと疑問に思っていました。
小学校に入学してからも、「人の為に生きなさい。」と教えられていたので、人の為に生きるんだと思って、歩んでいたら友達から笑われたり、お守りを身に着けていればバカにされることもあり、とても恥ずかしい思いにもなりました。
家では毎日、母親が信仰の話しかせず自分の気持ちを分かってくれず、学校では信仰を持っているのが徐々に嫌になっていきました。
中学校、高校でも、クラスメイトからの色々な悪口やからかいを受けることも多く、家族関係も悪くなり、兄とは兄の反抗期の時から一年で数回あるかないかと言うほど会話が乏しくなり、家族は少しずつバラバラになり、改善しようと思ってもうまくいかず、「神様にこんなにも求めているのに、どうして救ってくれないんだ。」と神様に訴えて、神棚に物を投げたり、壁に貼ってある宗教の紙を破いたりもしました。
母親から「どんなにやっても神様につながることはできないのよ。教祖の方によらなければ救われないのよ。私たちには一生恐れ多い存在なのよ。」という内容の話をされたことが私にとってはずっと不可解でした。
大学受験では希望の所に行けず、一つ下の大学に進学しました。浪人して希望の大学を目指したのですが、このまま家にいたくなく、もうこの家から逃げたいという思いで東京に来ました。母親に対してもとても恨みがありました。
東京に来て、「もう神様はいないんだ」、「自分の好きにやろう」、「もうどうなってもいいんだ」という思いになっていた時、統一原理と出会いました。統一原理を聞き、「神様が生きている」ということや、「神様は愛の神」であり、「許しの神」であり、「親なる神」なんだという内容にものすごく感動し興奮して、夕陽を見ながら神様と言葉を交わし合ったことを思い出します。
今まで母親の宗教では「僕のようなものなんか…」とずっと思ってきたのに、神様と私は「親子の関係」ということに衝撃を受けました。「どうせ私なんか…」という思いから解放され、「苦労させるしかなかった神様の心情」がこの道に来て分かるようになりました。
この道を歩むうちに、家族に対しての恨みが解けていき、兄に今までの謝罪の手紙を書いて渡し、それから劇的に兄弟の溝が埋まり、今では食事に行ったり話せるようになりました。母親に対しても、ずっと恨みがあったのですが、母親のことをずっと祈る期間があり、そこで母親も真理を求めながらも分からず、家族のため、子供のためにと、宗教を熱心に頑張ってくれていた母親の気持ちが分かり、「母親も苦労してきたんだ」という情が湧いて、恨みが解けました。
今、統一教会に導かれたことが感謝ですし、真の御父母様に出会えたことに本当に感謝しています。